バッファローアメリカバイソン
Buffalo
アメリカバイソンはウシ科バイソン属に分類されるウシ別名、アメリカ野牛アメリカではバッファローと呼ばれる。バッファローは水牛、バイソンは野牛の意味。
アメリカ合衆国では以前、アイダホ州、アリゾナ州、カリフォルニア州、サウスダコタ州、モンタナ州、ワイオミング州、ユタ州、カナダ以前はアラスカからカナダ西部アメリカ合衆国からメキシコ北部にかけて分布していた。
ワイオミング州のイエローストーン国立公園とノースウェスト準州のウッド・バッファロー国立公園を除いて野生個体群は絶滅し、各地で再導入が行われ、10年以上前からグランドキャニオンの北端付近でバイソンが生息している。
イエローストーン国立公園は長い間、象徴的なバイソンの本拠地ですが、1990年代後半から、バイソンはグランドキャニオンで繁殖させています。
バイソンの群れは大きくなりすぎて、グランドキャニオン国立公園の土地を過度に荒らし、すでに水資源を枯渇させ、遺跡を通って踏みにじっている事で国立公園では対策に頭を悩ましています。
メスよりオスの方が大きく、オスの体長は304~380cm、メスは213~318cm、体重はオス544~907kg、メスは318~454kgの体重がある。
体型の特徴では、肩部が盛り上がり、特にオスでは著しい。他に湾曲した角を持ち、最大角長は約50cmが記録されています。
草原や森林に生息し、メスと幼獣からなる群れを作り行動していますが、西部開拓以前は、季節によっては群れが大移動していたと考えられます。
オス同士は角を合わせて、突進してケンカしたり、糞尿の上を転がり臭いを体中につけて威嚇する。主に植物食であり、木の実や草等を食しています。
成獣が外敵に襲われることは少ないと言われていますが、幼獣や年老いた個体、病弱な個体は外敵に襲われやすい。
インディアンとアメリカバイソン
インディアンは弓や、群れを崖から追い落とすなど伝統的な手法によりバイソンの狩猟を行っていた。
特にスー族など平原インディアンは農耕文化を持たず、衣食住の全てをバイソンに依存していた。アメリカバイソンの群れを崖に追い込み落とす狩猟を行成った。
平原インディアンにとってバッファローは、昔から生きていく為の大切な糧として扱われてきました。
バッファローは草食動物ですが、非常に力が強く狩猟を得意とする部族のインディアンでも簡単に倒せる動物ではありません。
一頭のバッファローを捕まえる事が出来れば、食料で不足するビタミン補給としてだけではなく毛皮を使ってテントや衣服、クワなどの刃や毛皮や胃袋、糞までもが生活の為に無くてはならない動物でした。
その為バッファローはインディアンにとって尊敬に値する相手であり、大切な食料でもありました。彼らは、子供の頃から厳しい教育を受けます。
バッファローの群れの中から、年老いたものを狙います、若いもの、子供がいるものは、絶対に狙わないそれが分かるように成るまでに3年、さらに矢が当たるように成るまで3年掛かります。
西部開拓時代のバッファロー絶滅政策
西部のスー族など平原部族の居留地への囲い込み交渉は最後まで困難を極めた。
この為、連邦政府は平原部族の主要な食糧と成っていたバッファロー政策として絶滅させ、食糧を断つ作戦をとった。
17世紀に白人が北アメリカ大陸に移入を開始すると農業や牧畜を妨害する害獣として駆除されるように成った。
1830年代以降は食用や皮革を目的とする猟銃を使った狩猟が行われるように成ると大平原の個体も壊滅的な状態と成り、インディアンも日用品や酒、銃器と交換する為に乱獲するように成った。
1860年代以降、アメリカ政府はの狩猟ツアーを募り、窓から無差別にバッファローを撃たせてこれを殺させた。
入植者達は条約を無視して勝手に保留地に入り込み、部族の猟場でバッファローを虐殺したが、保留地監督官は部族の抗議を無視した。
19世紀初頭に4千万頭を超えていたバッファローは、19世紀末には野生状態ではついに絶滅に近い状態と成り、飢餓状態と成った平原の部族は保留地に入らざるを得なく成った。
19世紀末から20世紀に成りフロンティアの消滅に伴い保護の動きが強くなり、イエローストーン国立公園などの国立公園・保護区が設置されるように成り、1905年にアメリカバイソン協会が発足された。
白人が移入する以前の生息数は約60,000,000頭だったと推定されている。1890年には1000頭未満まで激減した。
1970年には15000 ~30000頭まで増加した。亜種シンリンバイソンはワシントン条約附属書IIに掲載されている。日本ではバイソン属単位で特定動物に指定されている。