サンディエゴ
カリフォルニア州
人口約130万人で全米7位
カリフォルニア州では
ロサンゼルス市に
次ぐ第2位の都市
アメリカを知り尽くした
米国ラスベガス写真家
Ken Kanazawa解説
サンディエゴは
元々マグロ漁港が盛んで
漁業を支えたのは
イタリア系移民達でリトル イタリーは
イタリア系移民の街として栄えた
スペイン領、メキシコ領であった事から、サンディエゴという地名はもとより、
地名や通りの名前にもスペイン語に発するものが数多くある。
アメリカとメキシコの国境の町。年間降水量 25.1cm 65日 2月以外は雨が降らない。
LAから約2時間、200kmある。軍港で現役を引退した軍艦ミットウエーが展示されている。
サンディエゴの歴史
1542年にポルトガル人のファン・ロドリゲス・カブリヨが白人としては初めて発見し、1769年にスペインの教会が初めて設立された。
1542年、ポルトガル人のファン・ロドリゲス・カブリヨが、スペイン船でロマ岬に到着。
ヨーロッパ人として初めてサンディエゴに足を踏み入れたとされている。カブリヨはこの地をサンミゲルと名名付けた。
1602年、植民地開拓に来たスペイン人のセバスティアン・ビスカイノは
1602年11月12日の「サン・ディエゴ・デ・アルカラ」の祭りの日に
「サンミゲル」から「サンディエゴ」に町の名前を変更し、これ以来この街の名前と成った。
1769年、フランシスコ会修道士、フニペロ・セラ神父が、スペインの支配地であったメキシコからサンディエゴに入り、
オールドタウンに、カリフォルニアで初めての教会を建設した。
この教会を中心に、ヨーロッパからの入植者達により、
いくつかの集落が出来、オールドタウンをサンディエゴ発祥の地と成った。
米墨戦争の結果、メキシコからアメリカに割譲され、
1850年、アメリカ合衆国カリフォルニア州となり、2月18日に、
カリフォルニア州の最初の27郡の一つとして始まった。
海軍基地の町
サンディエゴはファイタータウンと呼ばれ、映画「トップガン」の舞台になったように、基地の街でもある。海軍や海兵隊の基地が数多くあり
アメリカ太平洋艦隊の基地が設置されている。そのせいか、リベラルと言われるカリフォルニア州の中では保守的と言われている。
サンディエゴ海軍基地(Naval Base San Diego)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴにあるアメリカ海軍の基地であり
太平洋艦隊の主要な母港でもある。基地には13の桟橋があり、面積は全体で約5.27km2であり、軍人2万人、民間人6000人が働いている。
サンディエゴ海軍基地、ミラマー海兵隊航空基地、キャンプ・ペンドルトン(海兵隊)などが有名である。
メキシコとの国境の町
もともとスペイン領、メキシコ領であったことから、サンディエゴという地名はもとより、地名や通りの名前にもスペイン語に発するものが数多く見受けられる。
国境をはさんだメキシコ側のティフアナへは、労働力の安さとアメリカへの輸送性の良さなどを求め
アメリカはもとより日本、韓国、台湾などの企業が工場を設立、駐在員とその家族がサンディエゴ側に生活している。
2018年11月、中米からの移民キャラバンがメキシコ側のティフアナに次々と到着。サンディエゴ側の国境検問所は
越境を警戒して検問所前の車線を大きく制限するとともに、新たに有刺鉄線を張り巡らしたバリケードを設置した。
ハイテクの町
基地の町として軍関係の企業が発展していたところへ、現在ではクアルコムなどをはじめとする情報通信関連の企業や、バイオ、製薬、医療機器の企業などが集結しはじめている。
世界的に有名なスクリップス研究所、スクリップス海洋研究所、およびソーク研究所があり、また、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)やサンディエゴ州立大学(SDSU)など研究機関などで多くの外国人が研究・留学している。