キャニオンランズ
メサアーチ ユタ州
Canyon Lands Utha
キャニオンランズにはモアブの町があり向かい合ってアーチーズ国立公園があるキャニオンランズ国立公園1964年国立公園登録された
1950年代初期アーチズ国立記念碑の設立者であったベイツ・ウィルソンはユタ州モアブの南と西の地域のニードル・ディストリクト・エリアを探検した後ニードルを含む新しい国立公園の設立を提唱したのが始まり
1964年9月、議論の数年後、リンドン・B・ジョンソン大統領は、Pub.L88-590に署名しキャニオンランズ国立公園に登録された。
ベイツ・ウィルソンが新しい公園の最初の責任者に成り「キャニオンランドの父」と呼ばれる。
キャニオンランズ の地殻変動
コロラド高原とキャニオンランズ 7000万年前、ロッキー山脈の誕生し隆起したのがコロラド高原である。
コロラド州、ロッキー山脈が水源であるコロラド川が、ワイオミング州から流れるグリーン川と合流している。グランドキャオンを造ったコロラド川の上流に位置する。
キャニオンランズ国立公園とアーチーズ国立公園は、コロラド台地北東部にある国立公園でコロラド高原は、地球の地殻変動時にドーム型に台地が隆起し亀裂が走り、地層は激しく上下運動を返し移動した。
3億年前の超大陸パンゲアの時代、海の浅瀬で強烈な熱い太陽の熱により、浅瀬に取り残された海水が蒸発し最大部で高さ1500mの塩の層が出来上がった。
塩は固まると弾力性を持ち、圧力をかけるとゴムの様に成り圧力のない方へ移動する。
塩の層に圧力がかり、厚い岩質の重みで塩の層は薄い部分に移動し、薄い地層を下部から持ち上げた。
持ち上げられた地層は亀裂から塩が吹き出し、塩は後に水で侵食された空洞が残る。
コロラド台地が隆起し、塩の大移動始まり溶解現象が起こり、溶かされた塩分は固い地層沿いに流れた。
東をロッキー山脈、西をシェラネバダ山脈と2つの史上最大とも言える隆起活動に囲まれ、コロラド台地の北東部から密度が濃い塩分を含んだ湖がユタ州にある塩湖ソルトレークです。
塩が移動した地層が侵食したのがアーチーズ国立公園、キャニオンランズは川による侵食によって刻まれた美しい渓谷です。
二つの川によって三つの地区
南のニードルズ Needles
シーダー・メサ砂岩の尖塔郡が見れるポイント。
ここはアイランド・イン・ザ・スカイに次いでアクセスし易いが、車で観て回るというよりはハイキング、キャンピング等で丸1日は必要。
北のアイランドインザスカイ
Island in the Sky
アイランド・イン・ザ・スカイは、グランドビュー・ポイントから果てしなく広がる地球の原風景が広がる、コロラド川とグリーン川が印象的。
グリーンリバー・オーバールックは、朝日と夕日が素晴らしく観る事が出来るポイント 300m下を蛇行するグリーン川を見渡せる事が出来る。
西のメーズ Maze
迷路のような場所でアクセスが大変悪く、徒歩かマウンテンバイク、又は車高の高い4輪駆動車にてのみアクセス出来る。
行き方も公園の西側、グリーンリバーの町からHans Flatレンジャー・ステーションへそこから4輪駆動車で4~5時間最低必要。
世界中の写真家の憧れのメサアーチ
モアブの町からキャニオンランズのメサアーチまでは山道を約60kmあり、約車で1時間かかる。
メサ・アーチ・トレイルはメサ・アーチ・パーキングから約時間30分。
崖の端にあるアーチから原始の地球の景色が観る事ができますが、天気は一番大事ですね。
世界中の写真家が一度は撮りたいメサアーチの朝日で、キャニオンランズ国立公園の最大のイベントです。
メサーアーチに正面から太陽が当たり、アーチの下の部分が間を太陽の光を浴びます。
狭い場所なので最低でも1時間前に行く事と超広角レンズと懐中電気は必要です。
ホースシュー・キャニオンとグレートギャラリーの岩絵
コロラド川とグリーン川の西にあるメイズは、最も不便な場所で、北に離れた、ホースシュー・キャニオンで、古代プエブロより前から存在した古期後半の狩猟採集民族によって岩の板に描かれた絵がある。
世界的に有名な岩絵がグレートギャラーがある。グレートギャラリーは、バリアキャニオンスタイルのコレクションで知られています。
ロックアートです。キャニオンランズ国立公園の一部である ホースシュー・キャニオンは、発見されたロックアートを維持、保護する為、1971年に国立公園に認定された。
グレートギャラリーの歴史
ホースシューキャニオンの人間の存在は、紀元前7000年から9000年にまでさかのぼる。
古代インディアンは、マストドンやマンモスの大型哺乳動物を狩りをし、後に彼らの子孫は砂漠のアルカイック文化、モント文化もたらした。
プエブロとフリーモント族は、AD1300年にこの場所を放棄したと考えられている。
グレートギャラリーは、最大かつ最も保存状態のコレクションの一つである。
アメリカのロックアート・バリアキャニオンスタイル のギャラリーは砂漠アルカイック文化の産物で、フリーモントと祖先プエブローンより以前の狩猟採集民の遊牧民のグループだった。
グレートギャラリーのパネルは長さ約61m、高4.6mのサイズがあり、パネルには、背の高い岩絵は2.1mあり、最大は約20等身大の人間の形をした画像がある。
絵画の複製は、近代美術館ニューヨークとデンバー自然史博物館にある。
ユタ州南東部は先住民族が広範囲にわたって住んでいた、古代先住民の痕跡は壁画に多く発見されている、ニュースペーパーロックは世界的に有名で保存状態も最高レベル。
プエブロ・インディアン
プエブロとは、スペイン語で「村落」「集落」を意味する単語、石造りの集合住宅を作る様になった時代を「プエブロ期」、また集合住宅を建設する部族である事から「プエブロ族」の名が生まれた。
アメリカ南西部は砂漠やステップ気候による乾燥地帯なので、このような紀元前後の植物製バスケットが腐食せずに現代まで残る事が多い。
古代プエブロ族の住居は、竪穴式住居であり、その点からも、なんとなく日本の縄文時代に似ています。
しかしバスケットメーカー期には、トウモロコシを栽培して農作を始めた。
以来、ずっと彼らはトウモロコシを主食とする農耕文化を営み。
かつては、アジアでは米、ヨーロッパでは麦、そして北米ではトウモロコシが主食でした。
古代プエブロの故郷であり、多くの痕跡が発見されて、古代プエブロの遺跡は保存状態が良い。
アナサジと呼ばれる先住民族の祖先が住んでいた場所で、1000年代のこの周辺はフリモント族とアナサジ族。
フリモント族は北部周辺で、狩猟や採集を中心に生活していた。
アナサジは南部周辺に定着し、プエブロが発展しメサベルデやセドナに程近いモンテズマキャッスルに残る遺跡を残した。
アナサジはトウモロコシ、農耕技術に優れブルーコーンを食料にしていた。
フォーコーナーズ周辺を一世風靡したこの2種族の先住民族は1300年代後半、約40万人が突然姿を消した。
遺跡には遺骸が何故か建物は焼き払われた痕跡が残っている。
1800年代、18世紀初期の頃は山間部から下りてきたユテ族がこの一帯に住み着いていた。
ユテ族は馬を使いこなし、野蛮な種族で南部一帯に住み着く温和なナバホ族を襲ったり白人達との抗争を繰り返した。
19世紀に入り毛皮商人などの白人がこの地に入って来て、毛皮商人達が罠を仕掛けるためにトレイルが出来た。
元々トレイルは殆どが先住民族の残した道か罠を仕掛ける為に仕掛けた道であった。
バスケットメーカーとプエブロ
バスケットメーカー期は、古代プエブロ族が植物性の繊維を編んで作った「かご」バスケットを量産していた事から、付けられた名称。
バスケットは、ボウル型が多く彩色された物もあり、かなり古い時代の遺物です。
最初、彼ら古代プエブロ族は土器を作る事を知らず、代わりにバスケットを作って入れ物として利用する事を覚えた。
デッドホースポイント ユタ州
コロラド川が3億年をかけて大地を削ってきた景色。
コロラド川はその名のとおり、コロラド州北部のロッキー山脈を源に南西へ流れ、メキシコを経てカリフォルニア湾へ流れる全長2333kmの長い川である。
30以上の水力発電所がある。
デッドホースポイントは海抜約1800m、その600m下をコロラド川が流れている。最上層はカエンタ・サンドストーンである。
グースネックとはガチョウの首の事だが、コロラド川がU字型をしている。
さらに蛇行しながら流れている。遠くでは平らな大地が溝のように削られているのが見てとれる。
テーブル状になった所からコロラド川まで600mあり、特に朝日、夕日、星空は絶景!アメリカの原風景!見渡す限り360度の大パノラマ。
半島のように突き出た崖は細い首でメサにつながっていて、デッドホースポイントという名前は、ここを舞台にした伝説からきている。
100年ほど前、このポイントは野生の馬(ムスタング)の囲いとして使われていた。
カウボーイたちは野生の馬を狩り集めて群れにし、細い首のところから突端へ追いこんでいた。
首の部分は30mほどしかなかったので小枝や低木で塞ぎ、切り立った崖に囲まれた逃げ場のない自然の囲いを作った。
カウボーイたちは欲しい馬を選び残りは放した。
ある時、何故だかわからないが、馬が水のないまま囲い込みに取り残されて水を求めで柵を飛び越え何頭も死んでしまった事から
デッドホース=馬が死んだ所事から名前の由来です。
ムスタング(野生馬)は北アメリカ大陸のプレーリー地帯にスペイン人が持ち込んだ小型馬が野生化したものである。
スペイン語のmestengoに由来し、この語は迷子に成った、あるいは主人の居ない家畜を意味する。
人間に服従しない独立の精神に富んだ性格で知られ、アーネスト・トンプソン・シートンのいわゆる「シートン動物記」の中の一作、
「だく足のマスタング」にもその姿が活写されている。
一部は再家畜化されクォーターホース等の基礎になった。
北アメリカ大陸はウマ科の発祥の地であるが、最終氷期後に絶滅した。それ以降北米大陸に馬は存在しなかったが、一度野生の群れができると天敵が殆どいなかったため急速に数を増し、一時その数200万頭に達した。
元になった個体はアンダルシア等が中心だったと考えられるが、一部の群れにはサラブレッドやアラブ種等軽種の影響も見られる。
現在は2万5000頭ほどが保護され残っている。
キャニオンランズは世界中から写真家が集まり、写真家の聖地メサアーチの朝日、デッドホースポイントは絶景である。
映画&CM
「ミッション・ポッシブル2」「テルマ&ルイーズ」「127時間」やアサヒスパードライのCMのロケ地としても有名。
「インディージョーンズ・失われたアーク(1981年)」のエンディングの戦いが行われた場所です。
映画「テルマ&ルイーズ」ロケ地
映画「ミッション・ポッシブル」2ロケ地