アーチーズ国立公園 ユタ州
Arches National Park
1929年4月12日 国定公園 1971年11月12日 国立公園登録ユタ州のシンボルデリケートアーチ等2000個を超える。アメリカ大自然が造り上げたナバホ砂岩等のアーチがある1970年以降、42個以上のアーチが風化の為に崩れた。
アーチーズ公園はユタ州モアブの近くに位置し、面積は309 km²である。標高が最も高いのは、エレファント・ビュートの1723m、最も低いのはビジターセンターの1245mである。アーチーズ国立公園の年間平均降雨量は、250mmである。砂漠気候のため夏は暑く、冬には雪が降る。
アーチーズの地層
アーチーズ公園は元々ユタ州全体が海の底にあり、岩塩層の上にあ数百メートルの厚さに達するこの岩塩層がある。海水がこの地域に流れ込み、蒸発した約3億年前にコロラド高原に堆積した。
多くの堆積物が加圧され岩と成りこの重なり合った地面は厚さ1.6kmに達した。加圧された塩は不安定で弾力がある地層で、岩塩層はこの厚い岩のふたの重みに太刀打ち出来なかった。
そのような圧力の下で、岩塩層は、移動し、曲がり、液化し、自身を再配置し、結果として地層を上方に突き破り、岩塩ドームを造った。
全体が空洞に崩れ落ち、所々でほとんどぎりぎりまで折れ曲がった。断層が出現し、公園の入り口付近の断層は、約850mの移動したモアブ断層がある。岩塩の表面下の動きが地表を形成し、地表の浸食が新しい岩石層をはがした。
孤立した残滓を除き、地層は、ほとんどのアーチを形作っているサーモン色のエントラーダ砂岩層と鈍黄色のナバホ砂岩層である。地層はアーチーズのいたるところでスポンジ層になり、 長い期間をかけて、水が凍結と溶解、風等が侵食し岩の割れ目に圧力を加え浸食した。
インディアンとアーチーズ
1万年前の最後の氷河期以降、人類がこの地に居住し、フレモント族と古代プエブロ族が、約700年前まで住んでいた。1775年、スペインの宣教師達が初めてやってきた時、この地でウテ族とパイユート族に遭遇した。
この地に入植しようと試みた最初の欧米人は、1855年のモルモン教のエルク・マウンテン伝道団だったが、すぐにこの地を放棄した。その後、1880年代に、牧場主、農民、探鉱者がモアブに隣接する谷に入植し、周囲の岩が織り成す地形が美しいという噂が広がった。
インディアンの岩絵 ペトログリフ
モンゴロイドのルーツを持つアメリカ先住民であるインディアン達は、約1億4千万年前頃にアメリカ巨大な大地渡って来た。時には豊饒を享受し、時には飢餓に堪え、台地や渓谷を移動しながら彼ら独自の文化体系を形作り、長い旅の過程でアメリカの大地であるアーチーズの地域にも重要な岩絵を数多く残していった。
文字を持たないインディアンにとって、仲間に、他者に、祖先の霊魂にそして神に、具体的な情報、あるいは言葉に置き換えられない魂を視覚的に伝達する試みの証だった。
岩絵は、メッセージを持った太古から存在するメディアアートであり、現代のコマーシャルを中心に成り立つ様々なメディアに囲まれた日常において、それらの岩絵達は私達に対し、真のビジュアル・メッセージとは何かと問いかけてくる。
人々に「表現する事」の意味を探し、自らのルーツを感じてもらうのがねらいである。この「原始の表現手段から新しい何かを感じ取る精神」はモダンアーチスト達、バブロ・ピカソ、カンジンスキー、バウル・クレーなど、その原始に注目し新境地を開いた。
この精神はデジタル全盛の現代においてもなお生き続けている。古代人の想像力の中には、真新しい未来、 発見があるのでは・・・電話、インターネットはコミュニケーションの道具で、これらの原点がペトロクリフやピクトグラフです。
数千年前から岩に描かれ続けられたものが多く、北米のものはアメリカ合衆国のインディアンやカナダのファースト・シティズンが描いたもので全米に痕跡があり。現代へのメッセージでもあり、芸術でもあります。
岩絵 ペトログリフとピクトグラフ
ペトログリフはペトロとグリフ(彫刻)による熟語で、ペトロはギリシャ語で岩の意、英語では Peter、日本語はペテロで聖書に記載されている。ピクトグラフとは、岩を彫りこむ事で描いた、刻印による絵を指す。
ピクトグラフはピクチャーとグラフによる熟語で、狭義では、岩に塗料を塗って描いた絵を指す、日本では、両方「岩絵」と呼ばれる。
アメリカ合衆国南西部で古代ペトログリフ(岩絵)を描いた2種族
1.フリーモント族、ユタ、ネバダ、アイダホ州を拠点
2.アナザジ族、ユタ州、コロラド州、ニューメキシコ州、アリゾナ州を拠点。
アナサジは、後の時代に、この地にやって来たナバホ族の言葉で敵の先祖を意味する言葉です。
アナサジ族の事を、古代プエブロ族と呼ぶ。
又ナバホ族の中には、少数ですが、音節を変えてアノサジという名称を使う人が居て、埋もれた先祖の意味がある。
ペトログリフを盛んに描いたのはフレモント族で、北部のダイナーソワー国定公園から、南部はキャニオンランズ国立公園など広い範囲に広がり、造形もさまざま。彼らは、独自様式の土偶を作った。
アナサジ族の岩絵は、チャコキャニオンなどに一部残っている。チャコキャニオンでは、かに星雲となった超新星爆発を描いた物がある。
メサベルデ国立公園のサンテンプルの遺跡には、1054年7月4日頃に爆発した、かに座流星群の太陽のコロナを描いた石がある。
両部族共、紀元前から 13 世紀末まで存在し、フレモント族は狩猟採集民族、古代プエブロ族は繁栄した農耕文化であったが、その後、突然に衰退。
古代プエブロ族の末裔は、アリゾナ州、ニューメキシコ州にホピ族、ズニー族などの集落がある。フレモント族の末裔は、後に ユーテ族と成り、白人が馬を持ち込んでからは、すぐれた馬術を身につけて遊牧民と成った。
シアノバクテリア
藍藻の仲間でアメリカに多く生息している。赤茶色のスライム状で砂の表面に付き、水流で簡単に吹き飛ばせすぐ元も戻る。
シアノバクテリアは細胞核を持たない植物で、地球の歴史上光合成による酸素を生産した最初の生物である。プランクトンとして、バイオマットをつくって、比較的身近に見られる生物。
地球史の前半、真核細胞の出現までの15~20億年間、光合成を行い酸素を生み出し地球表層を酸化した。小さな藍藻(シアノバクテリア)の仲間なのです。
シアノバクテリアが居なかったら、今の我々人類は存在していない。シアノバクテリアと言えば赤茶色で、藍藻には沢山の仲間が居ます。シアノバクテリアの発生原因は、まだ完全には解明されて居ない。
シアノバクテリアの大好物?藻の種類が少なくなり生存競争のライバルが居なくなった事。植物プランクトンで、窒素、光、リンが栄養源ですが、鉄イオンが多いと大繁殖する。
ストロマトライト
岩石の構造につけられた名前です。シアノバクテリアなどの生物が作る、バイオマットに細粒の石灰質の粒子がとらえられ、マットの部分だけに層状に積み重なってできる構造です。
断面ではドーム状あるいは半円形、棒状などの形に見えます。ストロマトライトは、約35億年前以降、様々な時代の地層から見つかています。
生物の化石では無いが、生物がつくった構造という点で、化石の一種(生痕化石)として扱う事が出来る。中国産の石材に、ストロマトライトの一種である、コレニア石灰岩があり、ビルの内壁などに使われている。
アーチズの有名ポイント
デビルズガーデンエリア
公園の北部、全てハイキングによってしか見学出来ないが、長さ90m近いランドスケープアーチやダブル“オー”アーチを見に7km近いトレールがある。
ダブルオーアーチ
文字通り、二つのアーチが2段重ねになっている珍しいアーチで余り大きくは無い。往復6.8kmのトレイルで、短い標高変化が多くあり岩石の多い足場、多少高所がある。
ランドスケープアーチ
世界中のアーチの中でもトップクラス、全長90m近くありながら真ん中の幅は2mも無い。最近では、1991年に長さ21m、幅3mの塊が滑落、幅11フィート、厚さ4フィートの岩石の塊が、ランドスケープアーチの下面から滑落し、さらに薄い帯状の岩石を後に残した。
1995年の6月5日には15mの塊が、6月21日には9mの塊が落ちたため、今までは通過する事が出来たアーチの下をくぐるトレールは閉鎖された。
デリケートアーチエリア
デリケートアーチに続くハイキングトレイルはウォルフ・ランチから始まる。このウォルフランチは、南北戦争で身体に障害を受けた在郷軍人、ジョン・ウェスリー・ウォルフとその息子フレッドが1800年代後半ここに定住し牧場を運営していた。風雨にさらされた丸太小屋、地下貯蔵庫、家畜の囲いが、20年以上運営していた当時の牧場の形跡を未だに残している。
ダブルアーチ
インディージョーンズ映画「最後の聖戦」撮影に使用されたロケ地で、駐車場片道500mの距離のある。
ノースウインドーズ&サウスウインドーズ
ダブルアーチの北東側にあるウインドーズ・セクション。このトレイルは約1.6kmほどでノース・アーチとサウス・アーチの裏側を通ってループ状に戻ることが出来る。駐車場から南東に5~600mにタレット・アーチが見える。
ノース・ウインドーとサウス・ウインドーは遠くから見ると並んでいるように見えるが、近くで見るとあまりにも大きいため全く並んでいるようには見えない。又、この辺りのアーチは幅が太くサウス・アーチは幅35mほどありノース・アーチよりも長い。
正面のタレット・アーチから見るのがお勧め。インディージョーンズ映画「最後の聖戦」映画「テルマ&ルイーズ」のロケ地
映画「テルマ&ルイーズ」