フォー・コーナーズ
Four Corners
アメリカ大陸で4つの州の境界線が1点で交わっているアメリカ唯一の場所で、コロラド高原の中央付近に州名と州境の記念碑が設置されている。
フォー・コーナーズの北西はユタ州、北東はコロラド州、南東はニューメキシコ州南西はアリゾナ州である。
コロラド州は山岳ユト族の居留地、他の3州の領域はナバホ族の居留地内部にホピ族の居留地があり、記念碑はナバホ政府が管理している。
コロラド高原は、南西部の山間台地で、総面積は約337000平方kmの広さがあり、コロラド高原には、グランドキャニオンを造ったコロラド川と支流のグリーン川、サン・ファン川、リトル・コロラド川が流れ、
ロッキー山脈、ユインタ山脈、リオ・グランデ谷、モゴヨン裂溝、ベイスン・アンド・レンジに囲まれた地域で、断層によって複数の台地がある。コロラド高原の岩盤は海抜1500mから3350m、水平に堆積岩が重なっている。
コロラド高原の地殻は35kmから50kmあり、グランド・キャニオンはグランド・ステアケースの崖や峡谷の断面でコロラド高原の地殻がむき出しに見る事が出来る。
鉱物資源が豊富で、日本に投下された原子爆弾の材料が採掘されたウラン鉱山が存在する場所である。
コロラド州
コロラド州は州全体の平均標高が全米で一番高い、山岳地帯の州で、 州の東の方はグレートプレーンズ(大平原)である。
州都および最大都市は、ロッキー山脈の東側にあるデンバー市で、州の名前は「赤みをおびた」を意味するスペイン語に由来する。
コロラド州の東側の部分は1803年のルイジアナ買収の時、西側の部分は1848年のメキシコからの割譲によってアメリカ合衆国に編入された。
1859年のコロラドゴールドラッシュでは、初期の採掘ブームが過ぎると多くの町がゴーストタウンと成りましたが、デンバー地域に多くの移住者が集まった。
1861年2月28日コロラド準州がアメリカ合衆国領土として成立、
1876年にコロラド州が成立した。
ユタ州
ユタの名は、この地に先住するインディアン部族、ユテ族の言葉で「山の民」の意味がある。
1847年のモルモン開拓者移住以来ソルトレイクシティに定着したキリスト教系新宗教のモルモン教によって開かれた州であり、他州・諸外国からの移民の流入などにより教徒の割合が年々減少しているが、
現在でもモルモン教徒が全州人口の約60%を占めている。
1953年5月19日、ネバダ州にあるネバダ核実験場においてなされた核兵器の核実験による「死の灰」が、ユタ州南部のセントジョージ市などに到達し多数の住民が被曝した。
ニューメキシコ州
アメリカ合衆国議会は、1912年1月6日、ニューメキシコ州を合衆国の47番目の州として承認しました。
アメリカ政府は1943年、第二次世界大戦の最中にロスアラモス国立研究所を建設。
トップシークレットの所員はホピ族の保留地から掘り出したウラニウムを使い、1945年7月16日にアラモゴード近くの砂漠のホワイトサンズ性能試験場で、トリニティ実験を行い、初めて原爆実験に成功した。
その後同州は、核、太陽熱、地熱エネルギーの研究開発のリーダーとして、急激に頭角を現してきました。
1949年に設立されたサンディア国立研究所は、アルバカーキのカートランド空軍基地の南とカリフォルニア州のリバモア で核研究と特殊兵器開発を行っています。
アリゾナ州
1912年2月14日、アメリカ合衆国、大陸内では最後の州である48番目の州に成った。
異常なくらい暑い夏と温暖な冬の砂漠気候が特徴で、北部の松林や山岳部では低地の砂漠よりもかなり涼しい気候に成る。
アリゾナ州はアメリカ合衆国の州の中で21番目に大きな経済があり、州の初期経済は”5つの’C'”:銅、綿、牛、柑橘類、及び 気候(観光)が盛ん。
アリゾナ州は合衆国内で最大な綿の生産地と成った事があります。
銅については現在でも露天掘りと地下掘りが大々的に行われ、国内生産高の3分の2を産出している。