タオスプエブロ ニューメキシコ州
世界遺産
Taos De Pueblo New Mexico
モニュメントバレー周辺のコロラド高原には死の町と化した住居跡が無数に点在し先住民の記憶を示す3つの世界遺産 チャコ・キャニオン、メサ・ベルデ、 プエブロ・デ・タオス
タオス ニューメキシコ州
スペイン人のプエブロの村の征服の後に創設された。1770年代のタオスは、コロラド州東部の平原に住んでいたコマンチェによって襲撃され、ニューメキシコ領知事のフアン・バウティスタ・デ・アンサは、1779年にコマンチェを処罰する遠征に成功した。
1847年にニューメキシコ州がアメリカ合衆国支配下に成り、ヒスパニックとアメリンインディアンは、タオスの小さな反乱を起こし、
新しく任命された合衆国側の知事、チャールズ・ベントが殺された、これが有名なタオスの反乱です。
1899年の初め、芸術家たちがタオスに住み始め、特にインディアン芸術が、タオスで活動が盛んに成った。 キット・カーソンの家がある。
約30km北西に行くと1920年代の英国人小説家、D・H・ローレンスの家や世界的に有名な女流画家ジョ―ジ・オキーフが活動していたのもこのエリアです。
映画「イージーライダー」のロケ地であり、デニス・ホッパーも彼の遺言でこの地に眠っている。
タオス・プエブロは、AD 1000年から1450年の間に建設された。1960年10月9日に、アメリカ国定歴史建造物に指定され、その後世界遺産に成った。
世界最古の集落
今でも150人程のプエブロが生活している貴重な集落です。1000年以上プエブロは伝統を継続しティワ語を使っている、アメリカ最古の集落です。
ティワ語でタオスは我々の村を意味し、タオス・プエブロは、北部には8つのプエブロのその一つである。
世界最古の集落は、1000年前と変わらぬ素材日干しレンガ(土、わら、水で作った日干しレンガ)を使い建物等を建築している。
タオス・プエブロの建築の特徴は、リオプエブロ川によって二つの部分に分割され、赤褐色のアドビ煉瓦の3階のマンションが特徴的である。
日干しレンガを重ねた四角い大きな家は集合住宅は、アドビレンガで作られた外壁は温度をゆっくりと吸収する為、乾燥した暑い夏や積雪の冬も建物の中を一定の温度に保っている。
又パンを焼くかまどと建物が繋がっていて、パンを焼くと部屋の中も暖かい。丸い小山はアドビレンガで造られたかまどで、いまもパンを焼き日常で使用しています。
独特な姿をした住居だけでなく、住人たちの生活そのものが昔のままで、アメリカ先住民の伝統を大切に引き継いでいる。
伝統を守る為に、昔のままの姿を保つ為、家には今でも電気水道のライフラインが有りません。家には今はドアが付いていますが、19世紀までは、窓もドアも無く天井が入口に成っていました。
室内には階段も無く、上層階に住む人は梯子を使って家に入っていました。元々は外敵の侵入を防ぐ為で住居への出入り口は天井にあり、梯子を使って出入りしていた。
サン・ジェロニモ教会
サン・ジェロニモ教会のチャペルは、1847年のメキシコとの戦争の際に破壊された後に1850年に再建されました。
又昔のチャペルの跡がそのまま墓地に成って名士のみが葬られている。
タオス・プエブロの歴史は、1680年のプエブロの反乱の企み、1847年のアメリカ軍による包囲攻撃、
1970年のニクソン大統領による48000エーカーの山地の返還などの苦難の歴史がありますが、この歴史にも屈せず伝統を守り続けています。
タオスの人々は、神聖なブルー湖から生まれたと言う伝説を持っています。
富裕層の町
タオス・プエブロ・世界遺産から15分ほどにあるタオスの街は、著名人達が家を持ち、富裕層が多い町でもあります。
ロッキー山脈の麓、海抜7500mの高地で、空気と水が綺麗で、スピリチュアルな場所です。
芸術家も多く芸術の町でもあり、19世紀初頭に活躍しアメリカのファッション界を代表する女性、ミレセント・ロジャースの美術館もある。
タオス・プエブロ・世界遺産は、サンタフェから約1時間、チャコ・キャニオン・世界遺産、世界遺産・メサ・ベルデからも近くに位置します。
アルバカーキの南にある世界遺産のカールスバッドや「ホワイト・サンズ」があり、アメリカの手つかずの大自然と誇り高きインディアンの歴史があり、スピリットが至る所に宿っています。