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スカイシティー(天空都市)アコマ・プエブロ ニューメキシコ州

スカイシティー(天空都市)
アコマ・プエブロ ニューメキシコ州
Sky City Acoma

アコマ族

アコマ族

アメリカ ニューメキシコ州中部の112mの砂岩のメサの頂上に建設プエブロ・インディアンのアドベ建築の集落

アコマ・プエブロはアメリカで最古の継続して居住している村で、アコマの人々は10世紀以前に北から南下してアコマ・プエブロを建設したアルバカーキの西80km。

「スカイシティ」「空中都市」と呼ばれるアコマ・プエブロは、標高2134mの高地にそびえる112mのメサ(スペイン語でテーブルの意味、岩の大地)の上に村があります。

ここでは今も先住民が電機もガスも水道も電話も使わない、昔ながらの生活を続けています。

この村の人々は繊細な形と模様の壺を作る事で有名です。アコマ・プエブロはアメリカで最古の集落で、10世紀以前にアコマ・プエブロの村を建設した。

メサの断崖の上に建つプエブロ集落は侵略者に対する防衛に優れて、車道を使って上り下りができるが、昔は、砂岩に掘られた手製の階段で出入りしていた。

農耕を営みメサの下に畑を作りトウモロコシなどを栽培し育てた。かまどでパンを焼きますが、イーストと小麦とラードしか使わない白いパンが主食。

「アコマ」という名前の起源にはいくつかの解釈がある。アコマという名前は、ケレス語の単語で「アーク」が「白い岩」「メ」が「人々」を意味するため、「白い岩の人々」から来ていると言われている。

又「アーク」は「備える」を意味する単語「ハーク」に由来するため、メサの上の防衛に適した場所を意味しているとする説もある。

伝統的な宗教を持っているが、スペイン人植民者が持ってきたカトリックも取り入れている。

ヨーロッパ人の侵略以前は、アコマ・プエブロは何世紀に渡り、他部族と交易や交流が盛んで、
以前はアステカやマヤの人々との交易も行った。又言葉が異なる他のプエブロとの間の同盟を結んでいる。

アコマ族

アコマ族

伝道教会とプエブロ集落はアメリカ合衆国国定歴史建造物に登録され、2006年にはナショナル・トラストが管理する史跡。

他のプエブロと同様に、アコマとその周辺地域は連邦委託地で、数家族がメサの上で生活している。アコマ・プエブロと連邦委託地には約2800名の居住者いる。

部族の総人口は約6000人、アコマ・プエブロは手作りの彩色炻器でも有名。アコマ・インディアン居留地にはスカイシティ・カジノがある。

ヨーロッパ人は1540年に初めてアコマ・プエブロと遭遇。

1598年、メキシコから遠征、現在のニューメキシコ州を含むリオ・グランデ川上流域のスペイン王室による領有を宣言し、サンタフェ・デ・ヌエボ・メヒコと名付けた。

1598年10月、スペイン人の探検隊がアコマ・プエブロから食糧を徴収しようとしたが、冬を越すための貴重な食糧の備蓄を守ろうとしたアコマの人々は抵抗し、オニャーテの甥フアン・デ・サルディバルを含む13人の隊員が殺されるという事件が起きた。

アコマ族

アコマ族

1599年1月オニャーテは報復し、800人のアコマの人々が殺害され、500人の女性と子供が奴隷にされた。オニャーテはさらに生き残った25歳以上の男性80人全員の片足を切断させた。

1629年から1641年にかけ、フアン・ラミレス神父の指導により、メサの上の集落にサン・エステバン・デル・レイ伝道教会が建設された。

長さ30フィートの梁は、カウェシュティマとも呼ばれるマウント・テイラー山から30マイルの道のりを運ばれてきたもので、教会の墓地の土は、メサの下の谷から運び上げられた。

アコマ・プエブロは1680年のプエブロの反乱に参加し、スペイン人入植者をヌエボ・メヒコから一時的に追放した。

 

 

 

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