クレイジーホース記念碑 サウスダコタ州
Crazy Horse South Dakoda
ブラックヒルズの山にあるインディアン スー族オグララ・ラコタ族の勇士 クレイジーホースの巨大な彫刻。
1947年、ラコタ族の酋長ヘンリー・スタンディング・ベアが、わしらレッド・マン=インディアンにも偉大な英雄が居るのを白人達に知って欲しいと、
彫刻家コルチャック・ジオルコウスキーに「アメリカ合衆国建国の大統領の巨大な顔の彫刻があるラシュモア山より、大きなクレイジー・ホースの彫刻を造って欲しい」と依頼し、
コルチャックはクレイジー・ホースの彫刻制作に取り掛かった。
1982年 コルチャックが74歳で亡くなり、コルチャックの家族が彼の遺志を継いで彫り続けている。
コルチャックには5人の息子と5人の娘が、現在も遺志を受け継ぎ、クレイジー・ホースの彫刻が完成するまで彫り続けている。
連邦政府から支援すると言う申し出があったが、コルチャック一家は断り、非営利団体に運営を任せた。
政府は、将来何らかの理由で計画が中断される可能性があり、コルチャック一家はそれを恐れた。
クレイジー・ホース記念碑は未完成で、現在も製作中である、1998年に顔の部分が完成した。
全て完成するとクレイジー・ホースが馬に乗り、指を指している姿で、高さ170m、長さ195mと世界最大の彫像になる。
クレイジー・ホースとは?
白人の侵略者からラコタ族が住む土地や、聖地ブラックヒルズを守る為に白人と戦い、
1876年にはカスター中佐率いるアメリカ軍第7騎兵連隊を全滅させた「リトルビッグホーンの戦い」で知られる勇敢なラコタ族の勇士である。
クレイジー・ホース像は、長い髪を渦のようになびかせた戦士が、前方を指差しているというポーズを取っていて、戦闘司令官といったイメージに成っている。
平原インディアンやスー族の戦士は全て個々の判断で戦う個人の集団で、指差して号令をかける様な、白人が戦争酋長と呼んでいる役職・地位は存在せず、デザイン自体はジオルコウスキーのインディアン・イメージである。
クレイジー・ホースは白人と接することを極端に嫌い、生涯肖像画も写真も残さなかった。伝統派呪術師のレイムディアーはこの像を「全くクレイジー・ホースに似ていない」と語った。