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サンディエゴ海軍基地

サンディエゴ海軍基地 サンディエゴ カリフォルニア州

アメリカ西海岸有数の世界都市人口122万人ロサンゼルスに次いで二番目に人口が多い。サンディエゴ海軍基地はカリフォルニア州サンディエゴにあるアメリカ海軍の基地で太平洋艦隊の主要な母港である

サンディエゴ海軍基地

サンディエゴ海軍基地

サンディエゴ海軍基地は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴにある、アメリカ海軍の基地であり、太平洋艦隊の主要な母港でもある。

所属艦艇

サンディエゴ海軍基地は2017年8月、ミサイル巡洋艦8隻、ミサイル駆逐艦15隻、揚陸艦12隻、沿海域戦闘艦7隻、その他8隻の艦艇が母港としている。

サンディエゴ海軍基地

サンディエゴ海軍基地

サンディエゴ海軍基地には13の桟橋があり、面積は全体で約5.27km2、軍人2万人、民間人6000人が働いている。

映画「トップガン」のロケ地のミラマーの海軍基地は、現在海兵隊の基地となっている。実際のトップガンは、その後ネバダ州のファロン海軍航空基地へ移動している。

サンディエーゴの歴史

1542年、ポルトガル人のファン・ロドリゲス・カブリヨが、スペイン船でロマ岬に到着。ヨーロッパ人として初めてサンディエゴに足を踏み入れた。カブリヨはこの地をサンミゲルと名付ける。

1602年、植民地開拓にきたスペイン人のセバスティアン・ビスカイノは11月12日のサン・ディエゴ・デ・アルカラの祭りの日に「サンミゲル」から「サンディエゴ」に町の名前を変えた。

サンディエゴ海軍基地

サンディエゴ海軍基地

1769年、フランシスコ会修道士、フニペロ・セラ神父が、スペインの支配地のメキシコからサンディエゴに入り、オールドタウンに、カリフォルニアで初めての伝道所を建設した。伝道所を中心に、ヨーロッパからの入植者達の集落が出来た。オールドタウンがサンディエゴ発祥の地。

1850年、米墨戦争によってアメリカが勝利し、メキシコからアメリカに割譲された。2月18日に、カリフォルニア州の最初の27郡の一つに成った。

国境をはさんだメキシコ側のティフアナへは、労働力の安さとアメリカへの輸送性の良さなどを求め、アメリカはもとより日本、韓国、台湾などの企業が工場を設立、駐在員とその家族がサンディエゴ側に生活している。

基地の街として軍関係の企業が発展し、クアルコムなど情報通信関連の企業や、バイオ、製薬、医療機器の企業が集まっている。世界的に有名なスクリップス研究所、スクリップス海洋研究所、ソーク研究所があり、又、カリフォルニア大学サンディエゴ校やサンディエゴ州立大学など研究機関で外国人が研究・留学している。

サンディエゴ海軍基地

サンディエゴ海軍基地

サンディエゴ海軍基地

第2次世界大戦、1945年9月に建造し世界最大の航空母艦で 初めて飛行甲板を装甲甲板とした。全長約296m、幅約41.5m、基準排水量約45000t、速力約33ノット、搭載機約80機、50年余りの間に朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争に参加した。

航空母艦ミッドウェイのフライトデッキは300mあるが、飛行機を飛ばすレールはわずか100mしか無い。1992年に任務を航空母艦インディペンデンスに譲り、現役を引退した。

ミッドウェイは、第二次世界大戦のアメリカのシンボル的存在。イラク戦争の時ミッドウェイは砂漠の嵐作戦の第一報はここで受けた。

食堂や病院、留置所、郵便局があり、位の高い人はプライベートルーム、専用シャワー室、リビングやキッチンの設備がある。

航海に出る際は、自前で修理、出来る様に艦内に工場がある。ノアの箱舟のようにいろんな専門職が乗り込んでいる。

航空母艦ミッドウェイは戦後長い間、日本の横須賀に配備され第7艦隊のシンボルで日本にいる時には日本の一般市民に公開していた。実際に湾岸戦争やベトナム戦争に使われた。

サンディエゴ海軍基地、ミラマー海兵隊航空基地。海兵隊キャンプ・ペンドルトンがある。

サンディエゴ海軍基地

サンディエゴ海軍基地

原子力潜水艦の母港サンディエーゴ

インドを除く5カ国が、攻撃型原子力潜水艦と弾道ミサイル原子力潜水艦という2種の潜水艦を保有している。

このうち攻撃型は、通常型潜水艦と同様に敵水上艦船や敵潜水艦を攻撃するため、場合によっては隠密裏に人員輸送を行なうために利用される。

これに対し弾道ミサイル型は、通常型潜水艦では行なえない弾道ミサイルの発射プラットフォームとしての任務を担っている。このため、弾道ミサイル型は攻撃型より大きな船体となっている。

アメリカ海軍は21世紀に入って、弾道ミサイル搭載型を、巡航ミサイルの発射プラットフォームである巡航ミサイル潜水艦へと改造している。

サンディエゴ海軍基地

サンディエゴ海軍基地

軍産複合体  アイゼンハワー 最後の演説(要約)

軍産複合体の言葉を初めて世界に広めたのは、第二次世界大戦中に西ヨーロッパ連合軍の最高司令官で、ナチスドイツを降参させた勲功で大統領に成った「アイク」事、ドワイト・アイゼンハワーである。

第二次世界大戦までは、アメリカに軍需産業は存在していませんでした。農具の製造業者が必要に駆られて武器を作っていたに過ぎなかったが、アメリカは途方もない規模の軍需産業を創りだしてしまった。

国防関係機関に勤務している人員は今や男女合わせて350万人に達している。我が国が軍事による安全保障に毎年費やす金額は、アメリカの全企業の所得総額をはるか超えている。

我々が汗水たらして働き生計を立てる暮らしが、全て絡め取られてしまっている。

我が国の社会の成り立ちが姿を変えてしまった。「軍産複合体」は、影響力を政府に及ぼしている。こうした影響力によって政府が乗っ取られない様、我々は政府の各種審議会の場で乗っ取り阻止に努めねばなりません。向かうべき目標を間違えた権力が現に存在しているしこれからも存在し続けるでしょう。

複合体によって我々の自由や民主主義が、危うくなる事を許してはならない。そういう状況に慣れ、軽視する事があってはならない。市民社会が見識を持ち警戒を続ける事で、産業界と軍が結合し大きな防衛組織を暴走させる事なく、平和目的に導いていく事が初めて可能に成る。安全保障と自由が発展を遂げていける様にしなくてはならない。

タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦

バンカー・ヒル (USS Bunker Hill, CG-52)
モービル・ベイ (USS Mobile Bay, CG-53)
レイク・シャンプレイン (USS Lake Champlain, CG-57)
プリンストン (USS Princeton, CG-59)
カウペンス (USS Cowpens, CG-63)
チョーシン (USS Chosin, CG-65)
レイク・エリー (USS Lake Erie, CG-70)
ケープ・セント・ジョージ (USS Cape St. George, CG-71)

アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦

ラッセル (USS Russell, DDG-59)
ミリアス (USS Millius, DDG-69)
ディケーター (USS Decatur, DDG-73)
ヒギンズ (USS Higgins, DDG-76)
ハワード (USS Howard, DDG-83)
ピンクニー (USS Pinckney, DDG-91)
スタレット (USS Sterett, DDG-104)
デューイ (USS Dewey, DDG-105)
ストックデール (USS Stockdale, DDG-106)
ウェイン・E・メイヤー (USS Wayne E. Meyer, DDG-108)
ウィリアム・P・ローレンス (USS William P. Lawrence, DDG-110)
スプルーアンス (USS Spruance, DDG-111)
ジョン・フィン (USS John Finn, DDG-113)

 

 

 

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