プレーンズ オブ フェーム
航空博物館(チノ航空博物館)
Chino Planes of Fame Museum
Airport California
チノ カリフォルニア州とは?
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンバーナーディーノ郡の都市リバーサイド・サンバーナーディーノ都市圏の最西端に位置しチノバレー・フリーウェイ(カリフォルニア州道71号線)ポモナ・フリーウェイ(カリフォルニア州道60号線)がある。
市の西側ではチノヒルズ、北側ではサンバーナーディーノ郡の未編入地域(モントクレアに近い)、北東でオンタリオ、南東でサンバーナーディーノ郡の未編入地域、南でリバーサイド郡の未編入地域と接している。
人口は約78000人である。チノ周辺は農業・酪農が盛んで、南カリフォルニアやアメリカ南西部での相当量の乳製品の食の拠点。チノの恵まれた農業の歴史はスペイン統治時代に払い下げられたランチョ・サンタアナ・デル・チノまでの歴史がある。
チノ エアショー Planes of Fame Air Show
アメリカ、カリフォルニア州のチノ空港にある航空博物館「プレーンズ・オブ・フェイム」で2020年5月ごろ、開催されます。ゲートは例年、8時オープン、飛行展示の時間は11時から16時までです。この博物館は第二次世界大戦時に使用された軍用機を中心に展示する博物館で、日本の零戦が飛行できる状態で保管されていることでも有名です。
チノ航空博物館プレーンズ・オブ・フェーム航空博物館
1941年に陸軍航空隊のパイロット養成所として始まったチノ空港と、隣接するチノ航空博物館に世界で唯一現存するオリジナルの中島の栄発動機を積んだゼロ戦52型が保存されている。実機に飛べるゼロ戦・栄が観れるのも世界でも唯一ここだけ。
映画「硫黄島からの手紙」で使用されたF-4Uもチノ空港博物館から飛び、バストウで撮影し、毎年5月中旬には航空ショーが催される。
オリジナル発動機による唯一のゼロ戦
プレーンズオブフェームは、栄エンジン搭載の飛行可能ゼロ戦が世界に有名。毎年同博物館のセミナー、航空ショーで飛んでいるが、それ以外は基本的に門外不出に成っている。
世界にここにしかないテイルナンバー61-120昭和12年5月、海軍より中島製作所と三菱名古屋航空機製作所との競争試作で「十二試艦上戦闘機」の粗案が示された。
当時、堀越主任設計技師は34歳。又、同期に東條英機氏の子息である東大航空機科卒の弱冠23歳の東條輝雄氏も在籍していた。途中、中島が脱落したが、発動機は中島の栄型が採用された。
現在、世界に10機の飛行可能な機体があり、テイルナンバー「61-120」がオリジナル発動機による唯一のゼロ戦で、以前の9試単戦と比較するとかなり斬新で、世界で初めて単座戦闘機に20ミリ機関砲が採用化された事がある。
ゼロ戦は52型、栄21型オリジナルエンジンを搭載、1944年、中島飛行機で制作された5357号機。サイパンでは、海軍261航空隊に配備されていた。
アメリカによりサイパンで捕獲され、アメリカ本土に送られて徹底的に構造を調べられ後、戦後民間に放出されたゼロ戦を博物館が買い取り5年もの年月をかけて飛べるように整備した。
現在、飛べるゼロ戦でオリジナルの栄のエンジンで飛べるものは唯一世界で1機だけ。
雷電や秋水等
以外に堀越主任の設計の海軍戦闘機で三菱製の火星エンジンを積んでいる雷電や、秋水が展示されている。又、ゼロ戦の開発の同時期に開発が進められていたF4Fワイルドキャット、後継機のF6Fヘルキャット、F4Uコルセア、P47サンダーボルト、P51ムスタング、SNJ-5テキサン、真珠湾にて迎撃機のP-40、又大和を撃沈したSBD-5ドーントレス、山本連合艦隊長官を撃墜したP-38ライトニング、ドウリットル中佐指揮による1942年、東京空襲のB-25、バトルオブブリテンのスピットファイヤー、最初のゴジラ映画で空自が使ったF86等これら全て飛行可能な機体。
愛知 九九式艦上爆撃機[D3A2] 3178
三菱 零式艦上戦闘機五二型[A6M5]中島5357(飛行可能)
三菱 局地戦脚機「雷電」二一型[J2M3]3014
三菱 局地戦闘機「秋水」[J8M1]403
三菱 一式陸上攻撃機[G4M1]
空技廠「桜花」一一型 1049
空技廠 艦上爆撃機「彗星」[D4Y1]
三八式歩兵銃、九九式小銃
アツタ21型 等が展示されている。
Planes of Fame Air Museum