領土の拡大とフロンティア
Frontier
米英戦争によってヨーロッパ政治への介入に懲りたアメリカは自国の領土拡大へ方針を転換した。
1818年にイギリスと旧仏領ルイジアナの一部と英領カナダの一部を交換、スペインからは1819年に南部のフロリダを購入した。
これによって1.6km四方に人口(白人)が2人以下という開拓前線であるフロンティアが誕生した。
オレゴン・トレール
米英戦争直後からアメリカ国民はルイジアナ植民地へ移住した。
その中心はオハイオ川流域であったが、1840年ごろから太平洋沿岸の新天地オレゴンを目指すように成った。
このオレゴンを目指す道はやがてオレゴン・トレールと呼ばれ、西部開拓が盛んに成った。
移民たちはインディアンなどに襲われないよう、幌馬車で隊列=コンボイを組んで移動した。
領土拡大への道
1844年に領土膨張主義を主張するポークが大統領に就任し、1845年には、メキシコから独立していたテキサスを併合、1846年にオレゴンを併合して領土は太平洋に到達した。
1844年には英国と協定を結び、メキシコとの間で米墨戦争を行って勝利した。
これによって1848年にメキシコ北部ニューメキシコとカリフォルニアを獲得、1858年にさらにメキシコ北部を買収した。
領土ではメキシコ時代に廃止された奴隷制が復活した。
ゴールド・ラッシュ
1848年に旧メキシコ領カリフォルニアで金鉱脈が発見されると、一攫千金を狙った多くの白人が移住した。
いわゆるゴールド・ラッシュである。ヤヒ族などは、金鉱採掘者によって絶滅させられてしまった。
インディアンを虐殺し、流れ者と戦いながら開拓し、生活用品は豊富な森林から自分で生み出すと言う
移住者には、共通する開拓者精神、いわゆるフロンティア・スピリットが生まれ、これがアメリカ人としてのアイデンティティ、「アメリカン・ドリーム」となって現在まで受け継がれている。
広大な西部は西欧人をひきつけ、アメリカの人口はイギリス植民地時代の旧移民の自然増加と、欧州からの新移民によって急増した。
新移民の多くは英国人やドイツ人の農民、英国人の搾取に苦しむアイルランド人であった。
この時に流入した白人の人口比は、現代アメリカ白人の人口比とほとんど変わっていない。
その裏でインディアンの権利は剥奪され、彼らの領土は矮小化していった。
外政では、当時多くが西欧の植民地であった東南アジアに対抗して、まだ西欧諸国の手が伸びていなかった東アジアに対して積極的に強圧外交を行い、
1800年代に大国清やその属国朝鮮に接近、1853年に日本に上陸し、翌年に徳川幕府を開国させる事に成功した。