バレー・オブ・ファイアー
(火の谷)ネバダ州
Valley Of Fire Nevada
バレー・オブ・ファイアーとは?
ネバダ州最古の州立公園 ネバダ州立公園に1935年登録。広大な赤の盆地で地球の歴史を感じられ、神秘的なアメリカ大自然で、ラスベガス近郊の穴場ですね。
バレーオブファイヤーは1億5000万年前の砂丘が化石された真っ赤な砂岩層でアズテック砂岩が朝日に照らし出されると炎のように見える事に由来します
砂漠の火の谷、バレー・オブ・ファイアーは、種類も色合いも赤、オレンジ、ピンク、黒の火山岩と、長年の侵食により鉄分を豊富に含んだ燃える赤い砂岩です。
バレー・オブ・ファイアーは、1億5000万年前の恐竜時代の地層である。大規模な地球の地殻変動、断層活動がダイナミックな風景を造りだした。
バレー・オブ・ファイアーは、道が綺麗な事から世界中のバイカーから一度はバレーオブファイアーを走るのが夢と言う方も、又結婚式の写真を撮る方も多数いる。
ここは探せば探すほど撮影ポイントがお宝のようにザクザク出てくる。フォトグラファーにとっては写真の聖地。Fire Wave(ファイヤーウェイブ)は、ネバダ州のザ・ウエーブなのです。
クレージー・ヒルと ピンク・キャニオンは、地球の地殻変動の痕跡であり、ピンクの美しい岩の造形の撮影ポイントがあり地球の素晴らしさを感じれる所です。
この岩は朝は日陰になっているので午後~夕方の撮影がお薦め。
インディアンの岩絵の宝庫
1億5千年前のレット・サンドストーンの地層でプエブロ族が約紀元前300 年から1150年頃に描かれた岩絵が数多くあり、
1000年以上も前のロックアートのペトログリフ(岩面彫刻)やピクトグラフ(象形文字)が見られます。
マウスタンクのトレイルを 約400mの道に数多くのプエルロ・インディアンの数千前の岩絵の宝庫に成っている。
3000年前には今現在のインディアンの祖先である、プエブロ・インディアンが生活した痕跡が当時の生活様式を後世に伝える壁画を残しております。
ペトログリフ ロック・アート(岩絵)とは?
電話、インターネットはコミュニケーションの道具で、これらの原点がペトロクリフやピクトグラフです。
数千年前から岩に描かれ続けられたものが多く、北米のものはアメリカ合衆国のインディアンやカナダのファースト・シティズンが描いたもので全米に痕跡があり。現代へのメッセージでもあり、芸術でもあります。
岩絵にはペトログリフとピクトグラフがある
ペトログリフはペトロとグリフ(彫刻)による熟語で、ペトロはギリシャ語で岩の意、英語では Peter、日本語はペテロで聖書に記載されている。
ピクトグラフとは、岩を彫りこむ事で描いた、刻印による絵を指す。
ピクトグラフはピクチャーとグラフによる熟語で、狭義では、岩に塗料を塗って描いた絵を指す。日本では、両方「岩絵」と呼ばれている。
バレーオブ・フィアーの人の歴史
1.ジプサムの人々4000年~1800年前(2000BC~200AD)
ビック・ホーンシープなどを狩猟するハンターで植物の種やナッツを食べていた。
2.バスケットメーカー期2050年~2000年前(50BC~500AD)
古代プエブロ族が植物性の繊維を編んで作った「かご」バスケットを量産していた事から、付けられた名称。
バスケットは、ボウル型が多く、彩色された物もあり、日本の縄文・弥生式土器のような位置付け、古い時代の遺物です。
最初、彼ら古代プエブロ族は土器を作る事を知らず、代わりにバスケットを作って入れ物として利用する事を覚えた。
3.プエブロ/アナサジ 1500年前~950年前(500AD~115AD)
スペイン語で「村落」「集落」を意味する単語、石造りの集合住宅を作る様になった時代を「プエブロ期」、また集合住宅を建設する部族である事から「プエブロ族」の名が生まれた。
アメリカ南西部は砂漠やステップ気候による乾燥地帯なので、このような紀元前後の植物製バスケットが腐食せずに現代まで残る事が多い。
古代プエブロ族の住居は、竪穴式住居であり、その点からもなんとなく日本の縄文時代に似ています。
しかしバスケットメーカー期にはトウモロコシを栽培して農作を始めたそうで、以来ずっと彼らはトウモロコシを主食とする農耕文化をい営む。
アジアでは米、ヨーロッパでは麦、そして北米ではトウモロコシが主食。
4.パイユート族Paiute 900~150年前(100AD~1850AD)
北アメリカのグレート・ベースン文化領域である、アメリカ西部,ネバダ州の大部分と,ユタ州、オレゴン州、カリフォルニア州、アイダホ州の諸州にまたがる大盆地に居住し、ショショニ語群の高原語派の諸言語を話すアメリカインディアンの一民族。言語学的にはユト・アズテク系の言語を話す。
人口約 4000と推定され、主として指定居留地とその周辺に住んでいる。
南部パイユート族はユート・チェメウェビ語を話し、真のパイユート族とも呼ばれているが、北部パイユート族はカリフォルニア州ではモノ族、ネバダ州ではパビオツォ族とも呼ばれる。
どんぐり、マツの実、トチの実などの採集と小規模の狩猟で生活し、衣服やテントは野獣の皮を用いてつくっていた。
伝統的には乾燥した砂漠的環境の下で遊動生活を送り,禾本科植物の種子や松の実の採集、シカ、ノウサギなどの狩猟など、季節的に入手しうる食糧資源を最大限に利用する生業活動が特徴であった。
社会集団の単位も小さく、夏の乾季には数家族から成る小バンドを、種子採集期の秋から冬にかけてはやや大きなバンドを形成していた。
5.モアパ・サザン・パイユート 現在
モアパ・インディアンは、連邦政府認定のパイユート部族系(バンド)のモアパ・インディアンです。
モアパ・インディアン・リザバーション(居留地区)
リザバーションは、ネパダ州のラスベガスの北東のモアパ・タウンの近くにモアパ・リバー・インディアン・リザベーションがあり、リザベーションはI-15ハイウェイによって北東から南西に渡る。
南東部には、バレーオブファイヤー州立公園に隣接しています。モアパ・リバー・インディアン・リザベーションは29119ヘクタールの広さがあり、人口約238人です。
リザバーションには、250,000メガワットの太陽光発電施設が含まれており、111000世帯に電力を供給するのに十分なエネルギーを発生させ、年間341000トンの二酸化炭素を排出量を排除している。
ファーストソーラー モアパ。サザン・パイユート・ソーラープロジェクトを2017年8月2日に取得した。
モアパの歴史
モアパ族はヨーロッパ人との接触の前に灌漑農業を行った。
カリフォルニア州とアリゾナ州からここに到着した18世紀後半から19世紀初頭にスペイン人と遭遇した。
1869年、米国は南部パイテットをモアパ地域に強制移転した。元々、モアパ川流域全体とコロラド川沿いの土地(その一部は現在、ミード湖の下にあります)がモアパに割り当てられたが、
1875年には、リザーベーションは400ヘクタールに減らされた。
1941年、彼らは正式な憲法で組織した。
1980年にモアパ・リバーのリザベーションが拡大され、約30,000ヘクタールが追加されました。
モアパの人々は、失業率、肥満、アルコール中毒、糖尿病などの高い割合で苦しんでおり、その結果モアパの一部は仕事を探すために他の地域に移っている。
バレー・オブ・ファイーアー・ベスト#5
1.ファイヤー・ウェーブ
象の岩とともに、火の玉はバレー・オブ・ファイアーで最も象徴的な地形の一つです。第3の駐車場から通りを横切って位置する道で看板があります。写真は夕方がお勧めでファイアーウエーブの岩が夕日に照らされて赤く染まります。
2.クレイジーヒル
クレイジーヒルはレインボービスタを通過した道路の左側の3番目の駐車場があります。似ている岩が数多くあるので見つけるのはかなり難しいですが・・・
3.ピンクキャニオン(スロット・キャニオン)
ピンク・キャニオンは道路から離れているため、見つけるのが難しいかもしれません。
ビジターセンターからホワイトドームにつながる道を行く場合は、道路のコンクリートの窪み#5の近くです。ピンクの虹の砂岩のスロット・キャニオンです。
4.エレファント・ロック
エレファントロックはバレーオブファイヤーで最も象徴的な名所のひとつとして知られており、非常に簡単にハイキングをすることができます。入り口が東口に向かって(西口から離れる)道に沿って進み、最終的に道の左側にあります。
5.マウス・タンクの岩絵
数多くのインディアンの岩絵があります。又、ロスト・シティ博物館は、ネバダ州道169沿いのオバートンにあり、この地域に発展した古代プエブロ文化の世界を垣間見る事が出来ます。
ロケ地
バレー・オブ・ファイアーは、CMやプロモーションビデオ、スタートレックシリーズ、多くのハリウッド映画の撮影場所、映画「花より団子」小柳ゆきのヒット曲 「愛情」 のプロモーションビデオのロケ地