シェルビー アメリカン ラスベガス
Carroll Shelby Museum
Las Vegas
シェルビー・ヘリテージ・センターはシェビー・アメリカとキャロルシェビー博物館をオープンヘリテージセンターの名前は創業者のキャロルシェルビー氏から付けられてる。
I-15フリーウエーに隣接し、ラスベガス・ブルバードの数ブロックのところにあるシェビー・ヘリテージ・センターは位置している。
シェルビーヘリテージセンター
ヘリテージセンターでは、月曜日から土曜日までの無料のガイド付きツアーがあり、訪問者は絶え間なく変化するシェルビーの作品の展示を見ることができます。
最初のシェビーコブラCSX2000に加えて、シェビーシリーズIプロトタイプ、ダッジ・シェルビー・ダコタピックアップ、シェビー GT-H、シェビー GT 350、Terlingua Mustangの車が展示されます。
このシェルビーを設立したキャロルシェルビーさんが愛用車も展示されている。
ACコブラ
1950年代までACカーズは他の多くのイギリス中小自動車メーカーと同様、他社製エンジンを取り入れていた。
AC Aceなどのエンジンはブリストル・カーズから供給された直列6気筒だが、これは元々第二次世界大戦前にBMWが設計したものであった。ボディは鉄製のフレームにアルミニウムのハンドメイドである。
1961年、ブリストルはエンジンの生産を中止、そしてクライスラー製の313 in³(5.1 L)V8エンジンの採用を決めた。この事態を受けてACカーズは経営難に陥った、その後、ACカーズはフォード・モーター製ゼファーの2.6 L 直6エンジンを採用。
1961年9月、アメリカ人レーサーのキャロル・シェルビーはV8エンジンを搭載した車の製作を同社に提案。シェルビー自身がエンジンを調達することを条件として合意が成立した。
シボレーは同社のコルベットの対抗車種に成り得るという懸念からエンジン提供を断ったが、フォードから最新のウィンザーエンジン(260 in³ HiPo (4.2 L)V8)の供給を受けられることになった・・・
シェルビー・アメリカン
アメリカで発足した自動車メーカー、レーシングカー製造者である。レーシング・ドライバーであったキャロル・シェルビーが、引退後に自らの望んだスポーツカーを作るために築き上げた組織であった。
協力関係にあったフォード・モーターの意向を受けがある同社のレース車両の開発とワークスチームの運営、市販イメージリーダーカー開発と製造に貢献した後解散した。
キャロル・シェルビー
1923年1月11生まれ~2012年5月10日にテキサス州ダラスで死去。アメリカ合衆国テキサス州出身の1950年代後半に活躍した元レーシングドライバーである。
レース引退後はレーシングカーデザイナーとして後世に残る名車を数々創り上げた。1991年国際モータースポーツ殿堂入りしている。
レーサー キャロル・シェルビー
ダラスにあるウッドロー・ウィルソン高校を卒業後、アメリカ空軍に入隊。第二次世界大戦まで飛行教官やテストパイロットなどをしていた。
除隊後養鶏場を経営するが、友人に誘われ草レースに参戦し優勝してしまう。この勝利がきっかけとなり、プロの道へ進むこととなる。
F1参戦・ルマン優勝
1958年、第6戦フランスグランプリ(ランス)でスクーデリアチェントロ・マセラティがF1デビュー 予選17位、決勝リタイヤ。第7戦イギリスグランプリ(シルバーストン)で予選15位、3周遅れながら初完走。
第10戦イタリアグランプリ(モンツァ)でリタイヤしたものの、チームメイトで同郷のマステン・グレゴリーとマシンをシェアして4位でゴールマシンシェアのためポイントは半分の1.5点を獲得、これが生涯最初で最後のポイント獲得となった。この年は4レースに参戦した。
1959年、第3戦オランダGP(ザントフォールト)よりアストンマーティンで参戦、予選10位、決勝リタイヤ。同チームよりル・マン24時間レースに参戦し優勝した。
第5戦イギリスグランプリ(エイントリー)で自身予選最高位の6位となるも決勝リタイヤ。第8戦イタリアグランプリ(モンツァ)のレースを最後に引退。予選19位、決勝10位。
カーデザイナー キャロル・シェルビー
心臓病でレーサーを引退後、シェルビー・アメリカンを設立。イギリスのACカーズのシャシーをベースにフォード・モーター製260エンジンを搭載したACコブラを設計し、1962年イギリスとアメリカで発売した。
1963年シェルビーは289エンジンでFIAのGTホモロゲーションを取得し、ル・マン24時間レースをはじめとしたGTレースに参戦を開始した。
1964年にはシェルビー・デイトナでル・マンGTクラス優勝。
1965年にはFIA GT選手権を取得した。同年エンジンを427に変更し、ホモロゲーション取得のためにロードゴーイングバージョン・427SCが製作された。
シェルビー・デイトナ Shelby Daytona
別名:コブラ・デイトナ・クーペ、デライトナ・コブは1960年代半ばに活躍したアメリカ合衆国のレーシングカーである。ル・マン24時間レースでの打倒フェラーリを目指す、シェルビー・アメリカンにより合計6台が製造された。
デイトナ24時間レースの前身、デイトナ2000kmレースでデビューしたためデイトナというニックネームが付けられた。レースにおける成績は輝かしいものであったが、フォード・GT40との関係で突然の引退を迫られた。
現在、これらの車両はそれぞれ個人コレクターが所有し、競売において世界で最も高値がつく車の一つとされる。
映画「フォードvsフェラーリ」は2019年監督はジェームズ・マンゴールド、主演はマット・デイモンとクリスチャン・ベールが務めた。本作は批評家から高く評価されているが、ベールの演技は特に称賛を集めている。
1963年に、アメリカの自動車会社フォード・モーターは、アメリカにおけるベビーブーム世代の顧客へのアピールを狙い、モータースポーツ部門の拡大を考えていた。
そこでイタリアのスポーツメーカーであるフェラーリの創業者であるエンツォ・フェラーリに同社の買収を持ちかけた。
金にものを言わせ交渉は妥結寸前までいったが、スクーデリア・フェラーリを手放したくないエンツォは土壇場で破談にした。
フォード・モーターのCEO、ヘンリー・フォード2世はその仕打ちに激怒し、スクーデリア・フェラーリを打ち負かしてやると決意した。
Carroll Shelby Museum
Address 6405 Ensworth St, Las Vegas, NV 89119
Open 9時30分~18時00分
Tel (702) 942-7325