ボディ ゴーストタウン カリフォルニア州
Bodie Ghost Town California
ゴーストタウンとは?
何らかの理由により住人が退去して無人と成り居住していた事を示す建物や痕跡のみが残されている場所と産業による
環境破壊や衰退戦争や自然災害での退去によって一度形成された都市や集落が廃墟化した物
ゴールドラッシュ等の産業の衰退によって残された町がゴーストタウン化する。それ以外はその地を去る理由がない為に闘争が始まる。
戦争によって、居住の権利があいまいである為に無人に近い状態にされた地は歴史上数多く傷跡を残している場所も多い。
アメリカのコロラド州、モンタナ州、カリフォルニア州、アリゾナ州、ネバダ州に多く存在する。
殆どは、ゴールドラッシュの頃に、金鉱を目当てに集まった者達によって形成された町であったが、金鉱が掘りつくされると殆どがゴーストタウンと化した。
ゴールドラッシュ カリフォルニア州
1848年1月24日にカリフォルニアのコロマで、農場主ジョン・サッターの使用人ジェームズ・マーシャルが、アメリカン川で砂金を発見した事が西部の歴史の原点に成った。
カリフォルニアなど西部領土がメキシコからアメリカに譲渡され、新天地のカリフォルニアには金鉱脈目当ての山師や開拓者が急増し、
1849年の49からフォーティー・ナイナースと呼ばれた。
ゴールドの発見のニュースはたちまち広がり、アメリカの全国や海外から約30万人もの男、女、子供がカリフォルニアに集まった。
30万人の中で約15万人は海路から、残りの15万人は陸路でカリフォルニアにやって来た。1852年、カリフォルニアの人口は20万人まで急増し、州に昇格し西部の開拓が急速に進展していった。
ボディ カリフォルニア州
Bodie
19世紀後半のゴールドラッシュで栄え、全盛期には人口約1万。
20世紀に入ると金が掘り尽くされ、大火の影響で、町は急速に衰え、ゴーストタウンと化した。ボディは1961年に国定歴史建造物、1962年には州立歴史公園に指定された。
1859年、W・S・ボディが金の鉱脈を発見した。ボディの名の地名はW・S・ボディから来ている。
1859年11月、ボディはモノビルに物資調達の為の旅の後、ブリザードで死亡。ボディは何人かの探鉱者と鉱山会社の社員たちが住む小規模な鉱山キャンプに過ぎなかったが、
1876年、スタンダード社が商業量に達する金の埋蔵量のある鉱脈を発見すると、ボディは急速に鉱山町として発展し始めた。
1878年、ボディで豊富な埋蔵量を有する鉱脈が見つかった。
1880年頃、ボディの人口は10000人に急増したが、ゴールドラッシュに沸いたボディの町は、無法地帯と成った。
全盛期にはボディには60軒のバーが建ち並んだ。殺人、バーでの暴動、馬車のハイジャックは日常茶飯事であった。
ボディで採れた金は、金の集積地であったカーソンシティに送られた。
ボディからカーソンシティへ金を運ぶ道中、大抵は武装した護衛が付いた。カーソンシティに着いた金は列車に積まれ、サンフランシスコの造幣局に送られていった。
1893年、スタンダード社はボディから約20km離れたグリーン川に水力発電所を建設した。
水力発電所はブリッジポートの上流にあり、最大130馬力、6600ボルトの電力を発電。
発電所の電力は工場の機械の動力で使われた。電力施設は、長距離の送電を行なった。
ボディにはチャイナタウンもあり、数百人規模の中国人が住んでいた。道教の信奉者もいた。
中国人達は野菜や薪の販売、洗濯サービス、切断加工、運搬などをしていた。墓地の近くに建っていた死体仮置き場は、ボディの町で唯一、レンガ造りだった。
夏の暑さで死体が腐乱し、悪臭を放つことを防ぐ為と考えられる。
ボディにも町の北外れに赤線地帯があった。ボディに伝染病が流行した時に町にやってきた売春婦ローザ・メイは、献身的な看護でボディの町民の命を救った。
売春婦であったが為、死後町の墓地に葬られ無かった。町の中心には鉱夫達の労働組合の本部があり、町民達の集いの場であった。
20世紀、金が掘り尽くされ、町は急速に衰えた。1932年に町の大火でボディの衰退は加速し、ゴーストタウンと化した。
Adress 1416 9th St, Sacramento, CA 95814
Open daily Summer hours 9am-6pm
(April 15th to October 31st)
Winter hours 9am to 4pm
(November 1st to April 14th)