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ゴールドラッシュ コロマ カリフォルニア州

ゴールドラッシュ
コロマ カリフォルニア州

1848年1月24日に
カリフォルニアのコロマの

農場主ジョン・サッターの使用人
ジェームズ・マーシャルが

アメリカン川で砂金を発見した事が
西部の歴史の原点に成った

マーシャル・ゴールドディスカバリー コロマ カリフォルニア州

マーシャル・ゴールドディスカバリー コロマ カリフォルニア州

カリフォルニアなど西部領土がメキシコからアメリカに譲渡され、

新天地のカリフォルニアには金鉱脈目当ての山師や開拓者が急増し、

1849年の49からフォーティー・ナイナースと呼ばれた。

ゴールドの発見のニュースはたちまち広がり、

アメリカの全国や海外から約30万人もの男、女、子供がカリフォルニアに集まった。

30万人の中で約15万人は海路から、残りの15万人は陸路でカリフォルニアにやって来た。

1852年、カリフォルニアの人口は20万人まで急増し、州に昇格し西部の開拓が急速に進展していった。

開拓は、インディアン部族に対する民族浄化であり、

ヤナ族は金鉱目当てに入植した白人達によって絶滅させられた。

農民、労働者、商人、乞食や牧師までもが、一攫千金を夢見てカリフォルニアの新大陸を目指した。

ゴールドラッシュ

ゴールドラッシュ

1840年アヘン戦争の結果、イギリスに中国は開国させられ、香港がイギリスに支配された。

又マカオがポルトガルの支配下に成り、香港・マカオが属していた広東省から

アメリカへ多くの労働者が鉱山や鉄道建設現場で働く為に移民し、

おもに広東人がチャイナタウンを形成していった。

リーバイ・ストラウスと
ジーンズとゴールドラッシュ

ゴールドラッシュと鉄道労働者達1870年代、当時のアメリカの労働者のズボンは質が悪く丈夫なズボンの需要があった。

ネバダ州のリノで仕立屋を経営していた、ヤコブ・デイビスはニーズに答える為にズボンを作り出した。

生地はサンフランシスコの織物商人、リーバイ・ストラウスから仕入れた白い丈夫な綿帆布を使った。

ジェイコブはリベットをズボンのポケットの隅に打ち付け、ズボンが丈夫に成り、長持ちすると考えた。

当初ジェイコブはリベットの事は忘れていたが、

ジェイコブの作ったズボンはリベットを付ける事のよって耐久性が増し受注が入るように成った。

ゴールデンスパイク国立史跡 ユタ州

ゴールデンスパイク国立史跡 ユタ州

ジェイコブのズボンは生産が追いつかなく成り、周りにはその成功を妬みだす者も出て来た。

リベットのアイデアを守る為に特許の出願したが、この出願に懸かる費用68ドルは、

当時のジェイコブにとっては大金で、生地商人のリーバイ・ストラウスと折半して特許を出願した。

1873年5月に正式に特許として認められる。

リーバイ・ストラウスは、ジェイコブの作ったリベットの付いたズボンに着目、

リーバイの経営しているリーバイ・ストラウス社に衣料生産部門を立上げる事を決心し、

ジェイコブをネバダ州からサンフランシスコに呼び寄せて、

生産部門の監督に任命し、今のリーバイスのジーンズの原型が誕生した。

スタンフォードとゴールドラッシュ

1824年3月9日~1893年6月21日は、セントラル・パシフィック鉄道を設立し、

スタンフォード大学の創設者である。

1824年3月9日にニューヨークで生まれ、32歳の時にカリフォルニア州サクラメントに移住。

ゴールラッシュに乗って、カリフォルニアに移住した鉱夫相手に雑貨商を経営し財を成した。

その後、1861年に共和党からカリフォルニア州知事に当選。

ゴールドラッシュ

ゴールドラッシュ

当時スタンフォードと共にビッグ 4と言われたチャールズ・クロッカー、マーク・ホプキンズ、コリンズ・ハンティントンらと

大陸横断鉄道、セントラル・パシフィック鉄道を設立し、社長に就任した。

スタンフォード・ジュニアは、15歳の時にヨーロッパ旅行中にチフスで死去、

それにショックを受けたスタンフォードは、一人息子の名前を永遠に残す為に、

スタンフォード大学を、競走馬を育てる為に所有していたパロアルトの牧場に設立した。

スタンフォード大学は、現在のIT企業の原点と成った。

ジョン万次郎とゴールドラッシュ

幕末の江戸時代末期から明治にかけて、日米和親条約の締結に尽力し、その後通訳・教師として活躍した。

1841年、手伝いで漁に出て嵐に遭い、漁師仲間4人と共に遭難、

5日半の漂流後奇跡的に伊豆諸島の無人島鳥島に漂着し143日間生活した。

そこでアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に仲間と共に救助される。

日本はその頃鎖国していた為、漂流者のうち年配の者達は寄港先のハワイで降ろされるが、

船長のホイットフィールドに頭の良さを気に入られた中浜万次郎は本人の希望からそのまま一緒に航海に出る。

1850年5月、日本に帰る事を決意、帰国の資金を得る為、

ゴールドラッシュに沸くくサンフランシスコへ渡り、

サクラメント川を蒸気船で遡上し、鉄道で山へ向かった。

数ヶ月間、金鉱にて金を採掘する職に就く。

そこで得た$600の資金を持ってホノルルに渡り、土佐の漁師仲間と再会する。

1850年12月17日、上海行きの商船に漁師仲間と共に乗り込み、

購入した小舟「アドベンチャー号」も載せて日本へ向け出航した。

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