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独立戦争と国家建設

独立戦争と国家建設
1776年~1789年
Independence war

アメリカで
植民地政策を行っていた
英国が茶会事件に衝撃を受け

アメリカのボストン港を閉鎖し
住民に対して強気な
姿勢を示した

アメリカの歴史

アメリカの歴史

ボストン茶会事件とは?
Boston Tea Party

1773年12月16日、マサチューセッツ植民地のボストンで、

イギリスの植民地政策に激怒した植民地人の急進派が、

港に停泊中の貨物輸送船侵入し、

イギリス東インド会社の船荷である紅茶箱を海に投棄した事件で

アメリカ独立革命の象徴的事件の一つである。

独立戦争勃発

アメリカ大陸のオリジナルである13州の住民代表者は

フィラデルフィアで史上初めての大陸会議を開き、

植民地の自治権を求めて英国に対して反抗し、

1775年4月英国の駐屯兵と住民有志による

民兵が衝突しアメリカ独立戦争と成った。

ジョージ・ワシントンを戦争の総司令官に任命し、

1776年7月4日には大陸会議でトーマス・ジェファーソンが、

プロテスタント的思想を元に近代民主主義を作成し

アメリカ独立宣言を発表した。

英国は1660年代から囚人の流刑地としてアメリカを利用していたが、

独立戦争が始まり巨大な流刑地を失い刑執行が難しく成り、

これが新たな流刑植民地としてのオーストラリアの歴史の始まりと成る。

インディアン戦争

ジェファーソンは1778年にデラウェア州でデラウェア族と「インディアン条約」を結び、

インディアンから力ずくで領土を搾取購した。

その後インディアンを保留地へ追いやる迫害政策を行った。

インディアンには土地を売り買いする文化は無かった為、

多くのトラブルに成り「インディアン戦争」に結びつき、

その結果はインディアンの領土は略奪された。

アメリカの優勢

アメリカ独立戦争はフランス、スペインの軍事的支援を受けたアメリカ軍の優勢で進んだ。

又ロシア帝国エカチェリーナ2世皇帝は他のヨーロッパ諸国と中立同盟を結んだ。

この事により英国は外交的にも軍事的にも孤立し次第に劣勢は明らかと成った。

1781年にヨークタウンの戦いで敗れると、

独立容認を叫ぶ声が自国内でも高まり、

1783年にアメリカに対してパリ条約を結んだ。

これによってオリジナル・コロニーと言われる大陸13州は完全に独立し、

ミシシッピー川の東の広大な英国領ルイジアナ植民地を獲得した。

しかし13州合衆国はまだ弱い連合体に過ぎず、

内外に対する政策は州ごとに異なっていた。

そこで強力な統一政府を作る運動が起こり、


1787年にフィラデルフィアで憲法制定会議が開催された。

アメリカ合衆国誕生

ここで主権在民の共和制、三権(立法・司法・行政)分立、

連邦制を基本とするアメリカ合衆国憲法が制定され、

アメリカ合衆国が誕生した。

しかし、この憲法に対する批判運動が各州に起こり、

憲法容認の連邦派と憲法反対の反連邦派が抗争を繰り返し後の政党と成った。

憲法に基づいた最初の大統領選挙により、

1789年初代アメリカ合衆国大統領にジョージ・ワシントンが就任した。

プレジデントとは?

日本語で大統領と訳されるプレジデントは、

当時はアメリカ合衆国議会の前身である連合会議議長の肩書きとして使われていたが、

執行権の無い親分的な意味しか無かった。

ジョージ・ワシントンは新しい共和国が

ヨーロッパの帝国の国王や皇帝との違いを表す為に、

ミスタープレジデントという呼称を使った。

最高執行権者と成った大統領に特別な権威が

ない事を印象付けさせる為である。

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