ジョージア・オキーフ ニューメキシコ州
Georgia O’Keeffe New Mexico
ジョージア・オキーフが愛したサンタ・フェ ニューメキシコ州1887年11月15日~1986年3月6日の生涯で20世紀のアメリカを代表する女性画家彼女は生涯風景、花、動物の骨をテーマとして描き続けた。
彼女を一躍有名にした画面をいっぱい使った花の絵を描いた作品や、牛の頭蓋骨をアイコンに威厳を込めて描いた作品は世界的に有名です。
世界的にも抽象画を描きはじめたパイオニアの画家で、基本的には具象的モチーフにこだわりつつも、時おり抽象画も手がけ、生涯にわたって抽象への関心に情熱を傾けた。
あの有名なアーティスト草間彌生もジョージア・オキーフに影響を受けた日本人の一人です。
草間彌生は、戦後、地元の松本市内の古書店で「ジョージア・オキーフ」の絵が掲載されていた画集を見つけた事もアメリカ行きにつながった。
「この人が助けてくれるかも」と思い、東京のアメリカ大使館に行き、住所を調べ、自分の水彩画などを入れて手紙を書いたのです。
そうしたら激励する返事がきました。それが渡米を決意させる事にも成りましたと語っています。
オキーフはウィスコンシン州の農家に生まれ、父はアイルランド系、母はハンガリーからの移民で7人兄弟の2番目の子供で長女。
マディソンで高校時代を過ごした後にシカゴ美術館附属美術大学で絵画を学ぶ。
更にニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークに入学、ウィリアム・メリット・チェイスに師事し、
ニューヨーク滞在中に将来の夫と成るアルフレッド・スティーグリッツに出会っている。
1908年にシカゴに戻りイラストレーターとして働いたが、1910年に病気が元で家族がいたバージニアに移る。
一時、絵画から離れていたが、バージニア大学の夏期講座に出席し、アーサー・ウェスリ・ダウに出会った事がきっかけで再び描き始める。
多くの旅を愛し、1960年に日本へも来ている。
1962年にはアメリカ芸術文学アカデミーの会員に選ばれ、回顧展も多く催された。
ゴーストランチにアトリエと住居があり、ゴーストランチを拠点に活動し1986年、サンタフェにて98歳で亡くなる。
スティーグリッツの、花のクローズアップや、高層ビルの写真に影響を受けながら、独特の絵画を生み出した。
花の写実的なイメージから、それを拡大し抽象化する。現実を神秘的な非現実にしてしまうという独自のスタイルを打ちたてた。
代表作
黒いアイリスIII 1926年 メトロポリタン美術館
街の夜 1926年 ミネアポリス美術研究所
抽象 第6番 1928年 愛知県美術館
赤・白・青 1931年 メトロポリタン美術館
雄羊の頭、白いタチアオイ、丘 1935年 ブルックリン美術館
骨盤とペダーナル山 1943年 マンソン・ウィリアムズ・プロクター美術研究所