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アメリカ合衆国の歴史 植民地時代

アメリカ合衆国の歴史 
植民地時代
Colonial period
USA History

植民地時代以前
(先コロンブス期)

北アメリカ大陸に
最初に住んだ人々は
アジア系の
モンゴロイドである

彼らインディアンは
氷河期であった
約3万年前から
1万年前にかけて

凍結したベーリング海
などを渡って
シベリアから
アラスカを経由し

南北アメリカ大陸
各地に分散していった

アメリカの歴史

アメリカの歴史

インディアンは母系社会による独自の文化を育んだが、

広大な土地に比べれば、人口はごくわずかであった。

植民地時代
1493年~1776年

イタリア半島を中心としたヨーロッパでルネサンスが花開いたこの時代、

ポルトガルとスペインがいち早く遠洋航海技術を身に付け、大航海時代が幕を開けた。

※ルネサンスは「再生」「復活」を意味するフランス語であり、

一義的には、古代ギリシア、ローマの文化を復興しようとする文化運動で、

14世紀にイタリアで始まり、西欧各国に広まった。

アメリカの歴史

アメリカの歴史

イタリア人クリストファー・コロンブスはスペイン女王のから後悔の承諾を受け、

大西洋周りによるアジア発見を目指したが、1492年に西インド諸島に到達した。

1498年英国人ジョン・カボットが北米大陸の東海岸を探検し英国がこれを領有した、ニューイングランド植民地である。

※ニューイングランドは、アメリカ合衆国北東部の6州、北から南へメイン州、ニューハンプシャー州、バーモント州、

マサチューセッツ州、ロードアイランド州、コネチカット州を合わせた地方である。

中心都市はボストン。

1534年フランス人ジャック・カルティエがセントローレンス川を遡ってこれをフランスが領有化(カナダ植民地)。

西欧人による南北アメリカ大陸の探検と開拓、インディアンに対する領土略奪と虐殺がはじまった。

アメリカの植民地

●バージニアやカロライナには、イギリス人

●ルイジアナには、フランス人が植民地を築き「開発」は主にイギリス人とフランス人2つの民族によって行われた。

●ニューヨークやニュージャージーには、オランダ人

●デラウェアには、スウェーデン人

●フロリダには、スペイン人が入植した

当初の移民はカトリックであったが、16世紀に欧州でプロテスタントと宗教改革、

続いて宗教戦争が起こると、ピューリタンによる1620年の移民が始まった。

メイフラワー号をきっかけに、新天地を求めた新教徒が相次いで入植した、

彼らは先発のカトリックやインディアンと敵対しながら勢力を伸ばした。

奴隷制

西欧人は植民地で砂糖、コーヒー、綿花、タバコなどの農作物を農園で作り出したが、労働者の不足に悩まされていた。

西欧人はインディアンを奴隷化し、またこれと同じ時期にアフリカ大陸の大西洋沿岸にも進出し、

現地のアフリカ諸部族の黒人有力者から黒人を買い取り、南北アメリカ大陸に奴隷貿易輸出した。

それと交換に進んだ火器や、当時進出していたインド産の木綿をアフリカ諸国の黒人有力者に売った。

18世紀はもっぱらサウスカロライナ州を中心に、インディアン奴隷の売買が盛んであった。

奴隷制度によって維持されるアメリカ南部の広大な

プランテーション農業が盛んになったのは、19世紀に入ってからである。

17世紀から18世紀にかけて、英仏がヨーロッパにおいて戦争をするたびに、

英国からの植民団が建設したニューイングランド植民地と、

フランスからの植民団が建設したカナダとが対立し、植民地でも戦争が起こった。

この一連の北米植民地戦争は1700年のスペイン継承戦争によって端を発し、

七年戦争・フレンチ・インディアン戦争によって英国が勝利する1763年まで続き、

この戦争中に英国は次々とフランス・スペインの植民地を獲得、

また南部に広がるスペイン植民地への奴隷専売権を得た。

英国と植民地

英国は北米大陸の大西洋沿岸をほぼ全て手中に収め、大英帝国の礎を築き上げた。

インディアンたちは英仏どちらにつくかを選択させられ、代理戦争を引き受けさせられた。

北米東海岸を一手に握った英国は、先住民インディアンを駆逐して

領土を西へ拡大し13州の植民地を建設した。

州によっては白人の人口がインディアンを上回る地域が生まれた。

18世紀に入ると、寒冷で比較的農業に向いていなかった北東部で醸造、造船、

運輸などの産業が発達し、英国本国の経済を圧迫するように成った。

元々、新教徒が多数派を占める植民地とイングランド国教会の本国は摩擦があったが、

この頃には精神的に本国と分離し、経済的にも自立出来る力を持っていた。

英国はかねてから「羊毛品法」や「鉄法」によって植民地での工業発展を妨げ、

英国以外との独自貿易を禁じてきたが、ここでさらに重商主義政策を敷くことでさらに植民地を圧迫した。

また、フランスとの長い戦争中で必要となった自国軍の駐屯費や戦費を拠出するため

植民地住民に対して重税を課し、「印紙法」によって貿易独占を企てた。

住民が反課税と印紙法廃止を主張して1765年に激しい反対運動を展開したため

英国は翌年これらを撤廃したが、今度は「茶法」によって茶の貿易を独占しようとした。

対して住民は1773年にボストン港を襲撃、ボストン茶会事件と成った。

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