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ロズウェル ニューメキシコ州

ロズウェル ニューメキシコ州
Roswell New Mexico

ロズウェル ニューメキシコ州

ロズウェル ニューメキシコ州

ロズウェルとは?
ロズウェルは現在1947年に発生した「ロズウェルUFO事件」と呼ばれる事件にその名前が冠せられて世界中に知られている
人口は約45000人、ニューメキシコの5番目に大きい都市で灌漑農業、酪農、牧場、製造業、流通業、石油生産の中心地で1891年に創設されたニューメキシコ軍人養成大学の本拠地がある。

実際の墜落地点はロズウェルから約120km、コロナの街に近かった。調査と残骸の回収は地元のロズウェル陸軍飛行場によって取り扱われた。最初の入植者は、ミズーリ州から来た開拓者の集団だった。

1865年、ロズウェル15マイル南西のところに入植しようと試みたが、水が欠乏したためにその地点を放棄。

1869年、ヴァン・C・スミスとアーロン・ウィルバーンは、ロズウェルの場所に2つのアドベ煉瓦の建物を建てた。


建物は、コミュニティの交易所、雑貨店、郵便局、宿泊所として使用。
1873年8月20日、ヴァン・C・スミスこの町の最初の郵便局長となった。この日が都市としてのロズウェルの公式なスタートの日付。彼の父のファーストネームにちなんで、ロズウェルと呼んだ。

ロズウェル ニューメキシコ州

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1891年に大規模な帯水層が町の近くのネイザン・ジャッファの所有地、ジャッファ牧場で発見された。水源の発見は、この地域の最初の大きな成長と発展を加速させる結果となった。

1893年に鉄道が町を通って敷設されときにも成長は続いた。ロズウェルはロバート・H・ゴダードによって行われた液体推進ロケットの技術の研究によっても知られている。ゴダードは1930年代前期にロズウェルに来て、ロケット学の分野を高めるための多くの実験を行った。

第二次世界大戦中 戦争捕虜収容所

ドイツ人の戦争捕虜は、ノーススプリング川の土手の舗装などの、ロズウェルの主要なインフラ整備に使役された。
一部の捕虜は異なるサイズの石材を使って、北岸の土手を覆う石材のなかに鉄十字の輪郭をつくった。

ロズウェル ニューメキシコ州

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鉄十字は薄いコンクリートの層で覆われてしまった。1980年代に、河床清掃のクルーがコンクリートを取り除き、もう一度その輪郭をあらわにした。鉄十字のすぐ南にあった小さな公園は、それからアイアンクロス公園として知られるようになった。

1996年11月11日、この公園はPOW/MIA公園と改名された。ドイツ空軍からロズウェル市に寄贈された、ベルリンの壁のかけらを展示している。1980年代はじめ、大手バス製造のトランスポーテーション・マニュファクチャリング・コーポレーションはロズウェルに工場を開いた。

ロズウェル ニューメキシコ州

ロズウェル ニューメキシコ州

工場は再開と閉鎖を繰り返し、失業率の周期的な振動を引き起こした。TMCはバス製造を止めてしまった。ノヴァバス社が同じ建物を使ってバスを製造したが、これも閉鎖された。このプラントは2003年にミレニアム・トランジット・サーヴィシズ社によって再開された。2002年、ロズウェルは主にウォーカー空軍基地の閉鎖からの回復にちなんで全米都市賞に指名された。

ロズウェル ニューメキシコ州

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ロズウェル事件

1947年7月ニューメキシコ州ロズウェル付近で、何らかの物体が回収された、ロズウェルUFO事件と呼ばれる。ロズウェル陸軍飛行場が深く関わった為、ロズウェル事件と呼ばれる。

1978年以来、憶測や噂、研究、調査などの対象となった。事件の真相については1997年6月24日にアメリカ空軍総司令部が提出した報告書の内容が、アメリカ政府の公式見解と成っている。

UFOの存在を信じる者たちの多くは、アメリカ軍が回収した残骸とは「墜落した異星人の乗り物」であり、軍はこれを隠蔽していると思っている。

 

 

 

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