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ブルーエンジェルス エルセントロ

ブルーエンジェルス

ブルーエンジェルス

ブルーエンジェルス Blue Angels
アメリカ海軍所属のアクロバット飛行隊で、本拠地はフロリダ州のペンサコーラ海軍航空基地にある。冬場のキャンプ基地はメキシコとカリフォルニア州のサンディエーゴ近郊の国境にあるエルセントロに位置している。

アメリカ空軍のアクロバット飛行チームはラスベガス近郊にあるネリスエアホースベースに本拠地にしている「サンダーバーズ」とライバル関係にあり、共に世界でも高レベルのアクロバット飛行能力を誇る。

ブルーエンジェルスの歴史
第二次世界大戦終結時に、「大衆の海軍航空兵力への関心を持つ事」を目的として、チェスター・ニミッツ提督の指示で1946年4月24日に組織された。

初期飛行時の機体はグラマンF6F ヘルキャットの3機編隊で、先導機はロイ・ブッチ・ボリス少佐だった。

2ヶ月後の1946年8月25日に、機体はグラマンF8F ベアキャットに移行し、有名な「ダイヤモンド編隊」を披露した。

1949年8月には、機体をブルーエンジェルス初のジェット艦上戦闘機であるF9F-2 パンサーに移行した。

1950年~1960年代
1950年8月、朝鮮戦争によって活動を停止。ブルーエンジェルスのメンバーは航空母艦「プリンストン」(CV-37,USS Princeton)の第191戦闘機隊(VF-191,”Satan’s Kitten”)の中核として編入された。

翌年、彼らはテキサス州のコーパスクリスティ海軍航空隊基地で再編成され、機体もパンサーの改良版であるF9F-5 パンサーに移行した。復活後初のショーは、6月19日のメンフィスに於けるミッドサウス航空祭であった。

ここに本拠地を置いている間に、パンサーの主翼を後退翼に改良したF9F-8 クーガーに移行している。

続く20年の間に、ブルーエンジェルスは2回の機体の移行を行っている。グラマンF11F-1 タイガー(1957年。1959年より機首を延長した後期型に更新)、そしてマクドネル・ダグラス社のF-4J ファントムII(1969年)である。

1974年12月、海軍デモンストレーション飛行チームはマクドネル・ダグラス社のA-4F スカイホークを運用し始め、そして海軍デモンストレーション飛行部隊に編入された。

1986年11月8日、40周年記念式典の際に、マクドネル・ダグラスF/A-18 ホーネットを初公開した。

機体の塗装は美しいが実際の機体は古く、トラブルに悩まされ予備機である7番機、8番機を使用する場合も多いことから、2008年度会計でF/A-18C/Dに変更されることが決定し、数機がC型になっている。2015年には機体をF/A-18Eに更新することが発表された。

ブルーエンジェルスは「ファット(太った)アルバート」というニックネームのC-130 ハーキュリーズ輸送機を使用している。

現在運用しているのは三代目のC-130Tで、初代はC-130F、二代目はTC-130Gであった。

本機の所属はF/A-18と異なり海兵隊であり、機体のカラーはブルーエンジェルス仕様だが『United States Marines』と表記が入っている。

機体の塗装は伝統的に青をベースに黄色のラインであり、操縦席の外側にはパイロットの名前が黄色の文字で書かれている。

ブルーエンジェルスのパイロットは、ブルーエンジェルス専用の明るい青の飛行服、グローブ、ブーツ、上げ下げできるバイザーが付いた黄色のヘルメットだけを装備する。

激しい機動飛行を行うにもかかわらず、Gスーツや酸素マスクを着用しない伝統がある。専属の整備員も青い作業服を着用している。なおサンダーバーズの飛行服・作業服は濃い紺色である。

ブルーエンジェルス

ブルーエンジェルス

ブルーエンジェルスの使用機体
F6F-5 ヘルキャット 1946年7月~8月
F8F-1 ベアキャット 1946年8月~1949年
F9F-2 パンサー 1949年~1950年6月
F9F-5 パンサー 1951年~1955年
F7U-1 カットラス 1952年~?
F9F-8 クーガー 1955年~1957年
F11F-1 タイガー 1957年~1969年
F-4J ファントムII 1969年~1974年12月
A-4 スカイホーク 1974年12月~1986年11月
F/A-18A/B ホーネット 1986年11月~2008年1月
F/A-18C/D ホーネット 2008年1月~

ブルーエンジェルスは毎年、アメリカの34箇所で70回以上のショーを行う。

ブルーエンジェルスの名前の由来
ブルーエンジェルスの名前は、1946年に初期のチームがニューヨークに行った時に決まった。

チームのメンバーがニューヨーク・マガジン誌を読んでいて、当時有名だった「ブルーエンジェルズ・ナイトクラブ」の名前を見つけたことに由来する。

エルセントロの町 El Centro
カリフォルニア州インペリアル郡のインディアン郡、インペリアルバレー最大の都市、南カリフォルニア国境地域の東アンカー、そしてエルセントロ首都圏の中心都市および主要都市のすべてを網羅する都市です。

インペリアル郡エルセントロはまた、完全に海面下マイナス13mにある最大のアメリカの都市で近郊にソルトンシーがある。

カリフォルニア州南東部に位置するこの都市は、カリフォルニア州南部の主要都市から182 kmの場所にあります。サンディエゴとメキシカリのメキシコの都市近郊に位置している。

エルセントロ市は1906年にW. F. HoltとC.Aによって設立されました。エルセントロが建設された土地を最終的に1エーカーあたり約40ドル(1ヘクタールあたり100ドル)で購入し、10万ドル(2018ドルで2,800,000ドル)を購入した。

近代的な都市には、小売業、運輸業、卸売業、および農業産業があります。商用車と非商用車の近くには、2つの国境検問所があります。エルセントロ の人口は約43000人。

エルセントロの歴史
スペインの探検家MelchorDíazは、1540年にエルセントロとインペリアルバレー周辺を訪れた最初のヨーロッパ人の一人です。数年後、メキシコ系アメリカ人戦争の後、谷の北半分はアメリカによって併合され、南半分はメキシコの統治下にありました。

自然の帯水層地域での小規模な集落は19世紀初頭に発生しましたが、ほとんどの恒久的な集落(アメリカ側はアングロアメリカ人、反対側はメキシコ人)は1900年以降でした。

元々はサンディエゴ郡の一部であったインペリアルバレーは、コロラド川からの水が運河を通って砂漠の谷底を灌漑するために転用されると、農民によって解決されました。

ブルーエンジェルス

ブルーエンジェルス

海軍航空施設エルセントロ Naval Air Facility El Centro
カリフォルニア州インペリアル郡のエルセントロの北西10 kmに位置する軍用空港です。

海軍航空施設エルセントロの歴史
施設は1946年5月1日に海軍航空基地として発注されました。それ以前は基地は海兵隊航空基地だった。

長年にわたり、海軍エルセントロはいくつかの名前を持っていました。海軍航空施設、海軍補助着陸場、海軍航空基地、そして国立パラシュートテスト範囲。

最初の35年間、NAF El Centroの使命は、航空脱出システムのテスト、評価、および設計に費やされました。1947年11月、ニュージャージー州レイクハーストの海軍航空基地のパラシュート実験部がエルセントロに移転しました。

1951年、合同パラシュート施設が設立され、海軍パラシュート部隊と米国空軍の第6511テストグループ(パラシュート)で構成されました。空軍は今後27年間エルセントロのテスト組織の一部であり続けました。

施設には2つの滑走路があります。2897 mの東/西滑走路は、交通量の96%を処理します。各進入端にフレネルレンズオプティカルランディングシステム(FLOLS)が装備されているほか、両端に点灯している空母フライトデッキの着陸エリアがあるため、パイロットは空母ランディングをシミュレートできます。


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