アメリカ大自然旅企画 写真家Ken Kanazawa ラスベガス

MENU

インディアン

インディアン

インディアン

アメリカのルーツ
アメリカ合衆国に住んでいるアラスカ州のエスキモー、アリュートを含めた総称で現在約人口は220万人、その半数が314か所の連邦又は州のレザベーション、インディアン居留地に住んでいる。

先住民の先祖は約1万4千万年前から長い期間をかけアジア大陸北部からベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に渡って来た。ルーツはモンゴロイドに属し、種族としては270余りを数える。

インディアンは元来インド人の意味で、クリストファー・コロンブスがカリブ海に到達した時に、インド周辺の島々であると誤解し、その地の先住民をインディオスと呼んだ事からアメリカ先住民をインディアンと呼ぶように成った。

インドとは同じでは無く、ばくぜんと中国、日本以外の東南アジアの事をインドと見なしていた。

第7騎兵連隊とウンデット・ニーの虐殺

第7騎兵連隊とウンデット・ニーの虐殺

インディアン戦争 Indian Wars
1622年から1890年、アメリカ合衆国における白人入植者(インディアンが呼ぶWhite Man)によるインディアン征服戦争の総称。

初期のころからインディアンと入植者の小競り合いが続いていたが、移住者の増加とともに列強による植民地戦争とも絡みながら、大規模化していった北米植民地戦争、民族浄化、ジェノサイドである。

そもそもの白人とインディアンとの戦争は、クリストファー・コロンブスの上陸に始まるものである。

コロンブスは中米のインディアン諸部族を艦隊を率いて数年にわたり虐殺し、その人口を激減させた。

インディアンたちを黄金採集のために奴隷化し、生活権を奪ったためにインディアンたちは飢餓に陥り、疫病が蔓延し、その数をさらに減らした。

白人のもたらした疫病が中米のインディアンを減らしたのではない。コロンブスによる大量虐殺が、疫病によるインディアンの激減を招いたのである。

第7騎兵連隊とウンデット・ニーの虐殺

第7騎兵連隊とウンデット・ニーの虐殺

アメリカ独立戦争以後、「豊かで安い土地」を求めて白人入植者が西進するようになると、当然そこに住むインディアンは邪魔者となり、これを排除しようとする合衆国政府とインディアンの撲滅戦争と化した。

インディアンは領土を追われ、連邦政府が信託保留する土地、「保留地」に押し込められることを強要され、激しく抵抗するようになる。

イギリスがアメリカへの入植を始めた1610年代や1620年代は平穏に過ぎたが、ピクォート戦争の起こった1637年頃から、入植地の安全を図るためと、さらなる入植地の拡大のために、植民白人はインディアン部族間の争いを利用し、代理戦争を行わせるようになった。

ナバホ族

ナバホ族

ネイティブ・アメリカンの名称は誤り
ネイティブ・アメリカンはインド人を先祖に持つインド系アメリカ人と区別する為に人類学者が作った造語でインディアンはこれに対して意義を申し出ている。

近代以降、「アメリカ」国家が成立すると、その中の「インド人」という云い方に違和感が生じた。

特に第二次世界大戦後の公民権運動の中で、アジアン・アメリカン、アフリカン・アメリカンなどとともに、「ネイティブ=アメリカン」と呼ぶべきだという議論が起こった。

インディアンの人々は「ネイティブ=アメリカン」と言われる事に反発している。ネイティブ=アメリカン」は、エスキモーやハワイの先住民も含み、インディアンの人々は自分達の民族名を「インディアン」である、正確には、ナバホやアパッチなどを民族名とすべきであると主張している。

それは当然の主張であり、インディアンを「ネイティブ=アメリカン」といい変えるべきではない。

アメリカでは、「ネイティブ=アメリカン」という云い方をされることが多いが、「インディアン」の人々は侮蔑感を感じている。「インディアン」という民族名は、そのままにすべきであり、「インド人」という意味と区別する場合は「アメリカン=インディアン」とすることが正しい考えられる。

インディアン

インディアン

インディアンの生活と実態
自分がアメリカ・インディアン又アラスカの先住民と申告したアメリカ人は247万人、一部の先住民の血を引く者は160万人、ニューヨークには、シティー・インディアンが8万7千人が暮らしている。

アメリカ合衆国全体のインディアンの人口約280万人の3分の1が3つの州に住んでいる。
カリフォルニア州42万人、アリゾナ州30万人、オクラホマ州28万人インディアンを先祖に持つアメリカ人は80%混血2100年まで10人の内9人が混血となる見込み。

多くの部族がトウモロコシを主食とし、インゲン豆、カボチャ、ウリなどを栽培した。狩猟、漁労、採取と農工を組み合わせる部族が多く、プエブロを除けば移動性の生活を送っていた。

ヨーロッパ人と接触する以前の家畜は七面鳥と犬だった。犬は現在でも部族によっては儀式で食材とされている。

ナバホ族

ナバホ族

大平原ではメキシコ経由でスペイン人によって馬が持ち込まれるまではティピーなど家財道具の運搬の仕事は犬でした。

馬の登場によって平原インディアンは乗馬を生活に取り込、ホース・インディアンと呼ばれた。バッファローは衣食住の柱であり、儀式に欠かせない霊的な存在だった。

19世紀末白人はインディアン制圧の為意図的に絶滅させた。南西部のプエブロ族やナバホ族は19世紀に初め頃持ち込んだヒツジの放牧を行う様に成った。

カリフォルニアの捕鯨民族マカ族はアメリカで唯、捕鯨を条約で保障されている。ロッキー山脈周辺の部族はマツの実を蛋白源として主食にしていた。先住民の食文化の内ペミカン、揚げパンは良く知られている。

インディアンも全部族が毛髪を霊力の源と考え、神聖なものとして大事にしています。インディアンのアイデインティテイとして髪の毛を伸ばし始めた、これはヒッピー文化に影響を与えた。

「モヒカン刈り」スタイルは17世紀北東部アルゴンキン語族の男達が狩りの際に弓を射るのに髪の毛が邪魔にならない様頭の側面を剃った。

モニュメントバレー

モニュメントバレー

インディアンには酒造の文化が無く、飲酒をコントロールする事が出来ない。かつて白人が不平等条約を結ぶ際多量のウイスキーを持ち込んだ。アルコール依存症は問題で完全禁酒を掲げる部族自治区も多い。

インディアンには本来名字は無く、男子の名前は客観的な身体的特徴、自然現象に基づいて付けられた。

部族間で言語の違うインディアン社会で、平原インディアン達は指を使って会話する「指話法」を発達させた。「大精霊は白人達は読み書きする力を与え、インディアン達には手と腕で話す力を与えた」インディアン社会は母系社会であり、氏族社会である。

平原インディアンが命の糧であるバッパッローの精霊を信仰するのに対してプエブロ族は命の糧であるトウモロコシを神格化した「トウモロコシの乙女」「トウモロコシの母」を信仰する。

17世紀にスペイン人宣教師達によってキヴァは「悪魔の巣窟」として破壊された。キヴァでの祈祷行事は部族以外非公開。

アパッチ族は「ガン」と呼ばれる山の精霊を信仰。ナバホ族は「イエビチエイ」と言う精霊達行進行事を数日掛け行う。ホピ族とズニー族はカチーナと言う精霊群を信仰し仮面行事が有名。

インディアン

インディアン

平原インディアン
スー、シャイアン、クロー チイピー「スー語で人が住むところ」テント地はバッファローの皮。バファローをおもな獲物とする狩猟民族 素早い移動と設営が必要

ナバホ族
カナダ北西部に住んでいた、アパッチと同じ種族で狩猟民族。14世紀に現在の場所到達(アリゾナ州、ニューメキシコ州)17世紀にスペイン人と出会い羊、山羊の飼い方を習い遊牧民

ホウガン
かまくらの様な形で地面と同じ赤茶色、真上に煙突、東向きにドアが付いている。室内は10畳位の広さ、うち壁は直径20~30cmの丸太積み上げて半球型を型作る。

ドアの右にはキッチンテーブルと調理器具その隣にベット、ドアの左が男の寝るところ右が女の寝るところと決まっている。ホウガンは男性が2人いれば3日で完成する構造。

プエブロ
二ューメキシコ州にはタオス、アコマ、サントドミンゴ、サンフアン、ラグーナなど19インディアンが集合住宅に住んでいる。彼らはスー族やナバホ族と異なりとうもろこしを栽培する農耕民。

1890年 人口25万人、1990年 人口196万人、現在 人口220万人

PAGETOP