アメリカ大自然 ラスベガスツアー/ラスベガス写真撮影サービス 米国写真家Ken Kanazawa

クイーン・メリー号 ロングビーチ カリフォルニア州

ロングビーチ カリフォルニア

クイーン・メリー号

クイーン・メリー号

カリキュラソーフォルニア州南部の港湾都市。ロサンゼルスの南郊約30kmに位置し、太平洋に面する。人口は約48万人。

ロングビーチは古くから若者文化で知られ、カリフォルニア州ではロサンゼルス・サンディエゴ・サンノゼ・サンフランシスコに次いで5位、全米でも34位の都市である。

19世紀、インディアンのトンヴァ族がいくつかの村を形成し住んでいたが、これらの村々は1800年代中盤にはすべて消滅した

東部からの入植者がこの地に足を踏み入れたのは1827年のことである。1888年に正式な市となり、市名が「ロングビーチ」と名付けた。

初期から1960年代までは海岸のリゾート地として成長した。アイオワ州をはじめとする中西部諸州からの移民が多かったことから、「海岸のアイオワ」と呼ばれた。やがて油田が見つかり、軍事、港湾都市として発展した。

ロングビーチでは、映画史の初期においてサイレント映画が多く撮影された。1933年にマグニチュード6.3の地震が一帯を襲い、市は壊滅的な被害を受けた。学校等の建物が多数倒壊し、120人もの死者を出した。

クイーン・メリー号

クイーン・メリー号

クイーン・メリー号

1936年から1967年にかけて北大西洋を横断する定期便として運航された。1920年代後半から1930年代前半にかけて、ヨーロッパは巨大で優秀な船舶の需要ラッシュがあり、クイーン・メリー号は有名な「クイーンエリザベス号」と同時期に建造された豪華客船である。

北大西洋航路の老舗、イギリスのキュナード社は、1936年に空前の8万トン豪華客船「クィーン・メリー」を就航させた。その豪華さにおいても、彼女は一流の客船だったけれども、何よりも特筆されるべきは、その高速性能と大きさである。

それまでの最大客船であるホワートスター社の「マジェスティック」を、一気に50%も上回る史上例を見ない巨大さは、膨大な容積を乗客に提供した。その速力も30ノットを超え、大西洋横断に要する日数を大きく短縮している。

客船として運航されたが、第二次世界大戦時には兵員輸送船として従事し、その輸送能力と巨躯に似合わないほどの速度で軍部に重宝された船舶です。

クィーン・メリーの要目
建造所:ジョン・ブラウン造船所、クライドバンク工場:1936年進水
総トン数:80,774t、長さ:310m、幅:36m、吃水:11.85m
主機:パーソンズ・ギアード・タービン、4軸、29ノット
乗客:キャビン・クラス:776人、ツーリスト・クラス:784人、三等:579人、乗組員:約1100人

1936年5月に就航し、8月には平均速力30ノットを超える快速で大西洋を横断、速度記録を樹立した。戦時塗装のクィーン・メリー 甲板は兵士で埋めつくされている軍隊輸送船への改装はオーストラリアのシドニーで行われ、当初の収容人数は5000人ほどだった。改装を重ねて収容人数を増し、最大では一度に16683人を運んだとされる。

軍を退役した後は再び客船として20年間運航され、1967年に引退。国立登録史跡として登録され、ロングビーチで博物館船兼ホテルとして静態保存されている。

呪われた豪華客船、クイーン・メリー号

クイーン・メリー号

クイーン・メリー号

第二次世界大戦中に、美しい船体を灰色に塗り替えたクイーンメリー号は、クイーンエリザベス号と共に「灰色の幽霊ゴースト」と通り名を付けられた。

1942年10月2日、アイリッシュ海を航行中、護衛の軽巡洋艦キュラソーと衝突する事故を起こす。クイーンメリー号が十分な距離をとらず、キュラソーの進路を横断する形をとった結果、フルスピードの28ノットでキュラソーの船体中央に衝突。

総トン数82000トンのクイーンメリー号に対してキューソーは4000トン足らずのもので、原チャリとトラック並みの衝突です。

キュラソーは破損し、沈没してしまいます。この事故により、338人が死亡しました。しかも、この事故は戦争が終わるまで報告されなかった。

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