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ゴールデンスパイク国立史跡 ユタ州 アメリカ大陸横断鉄道の到来

ゴールデンスパイク国立史跡 ユタ州

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アメリカ大陸横断鉄道の時代到来
カリフォルニア州の金は20年余りで掘り尽くされ、ゴールドラッシュは終わりを告げ、金掘り人達の多くは無一文で西部を後にした。

運良く金を見つけても酒や博打で散財する者が多く、そんな彼らに食料や雑貨を売り歩いた人達が、ゴールドラッシュの隠れた成功者の一人であるリーランド・スタンフォードだった。

西部との連携を重視したリンカンが大陸横断鉄道にゴーサインを出した。時は南北戦争1861~スタンフォードとその仲間達は貯めた金を出し合い、セントラル・パシフィック鉄道会社を設立した。

1863年、線路敷設工事は2つの鉄道会社が大陸の東西からスタート。セントラル・パシフィック社はサンフランシスコ側から東を目指し、ユニオン・パシフィック社はネブラスカのオハマから西に一直線。しかし西側にはシエラネバダ山脈が待ちかまえていた。

ゴールデンスパイク国立史跡 ユタ州

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アメリカ大陸横断鉄道と中国人
戦争中の事で労働者は集まらず、工事は中断また中断。困り果てた会社は反対を押し切って、当時西海岸に大量に移住して来た中国人を採用した。当時のアジア系移民の信頼度はゼロで、仕事は雑用係だけでした。しかし彼らはすぐに器用に作業車を操り、岩盤を掘って周囲を驚かせました。しかも白人以上に勤勉で従順。

会社はサンフランシスコ中の3千人の中国人を集め、それでも足りず極東にまで募集の手を広げる始末。会社の労働者の90%は中国人で占められるように成った。

切り立った絶壁での爆薬を扱う危険な作業は中国人の独占場。冬のシエラネバダでは、雪崩に戦いながら、トンネル掘りに従事。数千人の中国人の生命と引き替えに、線路は東へ進みました。

彼らの賃金は当初1日1ドルでしたが、やがて1月35ドルまで上昇しました。

1869年の5月10日、東西から出発した2つの線路がユタ州ソルトレイク近郊のオグデンで連結した。この難工事を支えた中国人労働者の偉業を讃える声はかき消された。

その後、サンフランシスコの中国人たちは白人たちの妬みから激しい迫害を受け、苦難の道を歩みましたが「サンフランシスコの人口の40%が中国人で街全体がチャイナタウン」に成った。

スタンフォード大学
莫大な富を手にしたリーランド・スタンフォードは「鉄道王」と成ったが、旅先で才能豊かな息子を亡くしてしまった。失意の夫妻は息子の遺志に沿うようにと教育事業に資産を投げ出し、広大な彼の農場にスタンフォード大学が設立されたのは1891年。戦後大学の一角が工業団地として卒業生達の事業に開放され、シリコンバレーに発展した。

ゴールデンスパイク国立史跡 ユタ州

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ゴールデン・スパイク 黄金の犬釘
鉄道路線が完成し最後に記念に打ち込まれる犬釘は、大陸横断鉄道、セントラル・パシフィック鉄道とユニオン・パシフィック鉄道がユタ州プロモントリー・サミットで1869年5月10日にリーランド・スタンフォードによって公式に行われた。

大陸横断鉄道の完成を金の犬釘で行うというアイデアは、サンフランシスコの投資家であるデービッド・ヒューズが考えたものであった。犬釘には鉄道会社の役員の名前が彫り込まれた。犬釘が打ち込まれる最後の完成区間では、月桂樹で作られた枕木が使用された。

5月10日、式典を前にプロモントリー・サミットでは、ユニオン・パシフィックNo.119機関車とセントラル・パシフィックNo.60機関車ジュピターが1本の枕木分の距離を置いて正面を向き合わせた。約500人から3000人程度の政府と鉄道の関係者や工事の労働者が世紀の式典の目撃者と成った。

ゴールデンスパイク ユタ州

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アメリカ4つのタイムゾーン歴史
総合時刻会議 、ジェネラル・タイム・コンベンションが開催されてアメリカを4つの時間帯に分割して共通の時刻を採用する鉄道標準時が決められ、1883年11月18日から全ての鉄道がこの鉄道標準時によって運行された。

鉄道が出来る以前は、各都市では太陽が南中した時刻を正午と決めていて、近くにある都市でも数分の時差は珍しくなかった。

人の移動がゆっくりであった時代には大した問題ではなかったが、鉄道によって各都市が短時間で結ばれるように成ると大きな問題となり、鉄道会社にとってはダイヤグラムが困難であった。

各鉄道はその鉄道会社の本社がある都市の時刻を「鉄道時刻」として定め、その会社の全路線で適用した。

アメリカ合衆国の鉄道の歴史はイギリスと並んで古く、1830年代には蒸気機関車の運行が始められている。路線が充実し、馬車や川蒸気船に取って代わった1900年前後の数十年間がその全盛期で、旅客輸送の国内輸送シェアの9割を占めたといわれ、1916年には路線長が40万キロに達した。

その後は自動車や飛行機の発達で旅客輸送は衰退したが、貨物輸送においては陸上輸送の主役を務めている総路線長225500kmは世界最長である。

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