アメリカ大自然 ラスベガスツアー/ラスベガス写真撮影サービス 米国写真家Ken Kanazawa

ゴーストタウン・エリー ネバダ州

エリー ゴーストタウン ネバダ州

エリー ゴーストタウン ネバダ州

ゴーストタウン・エリー ネバダ州 Ely Nevada
ポニー・エクスプレスの駅馬車の駅として設立されたエリーの町は、ネバダ州 ホワイトパイン郡の最大の都市で現在の人口約4200人がいる。

1906年に銅の鉱山ブーム到来し、大陸横断鉄道の開通によってオースティンとユーリカ間にエリー駅が設置された。国道50号線沿いに町があり、鉱業ブームで誕生した町。

1906年にエリーは銅鉱山会社ケネコットが有名に成り、1970年代半ば銅市場の暴落しケネコットは倒産し閉山した。

ネバダ州ウェルズから南へ224km 南にあるピオケ州北部の169km、ユタ州デルタの246km西、ネバダ州ユーリカから東へ124km、ネバダ州ウェストウェンドーオーバーから南に190km 南にエリーは位置している。

オースティンにあるユーリカ鉱山の大陸横断鉄道を結ぶ鉄道は長い間廃止されていたが、エリーの駅と鉄道はネバダ北部鉄道の現在、遺産鉄道として保存されている。 

エリー ゴーストタウン ネバダ州

エリー ゴーストタウン ネバダ州

エリーの歴史
1878年、バーモントに住むJWロングはホワイトパイン郡にやって来て、すぐに金を発見して「エリー」と呼ばれるキャンプを設立しました。

1878年、ロングを代理人に派遣したエリーのニューヨーク議員、バーモント州出身スミス・エリーで初期の鉱物事業の投資家。スミスイーリー、セルビー銅鉱山と製錬会社の社長を記念して1878年にエリーと名付けられた。

元々、エリーはケネコットが最も有名で、銅鉱山会社の数が多くあった。1970年代半ばの銅市場の暴落でケネコットは閉鎖され、銅鉱山は消滅した。

以前は非常に低品位の鉱石であると考えられていたものから金を抜く方法であるシアン化物ヒープリーチングの出現により、次のブームが始まった。

エリー ゴーストタウン ネバダ州

エリー ゴーストタウン ネバダ州

多くの企業が、銅鉱山から取り除かれた大量の重荷を処理し、既存の露天掘り鉱山を拡張して金鉱石を抽出しました。

 ルースの近くのロビンソン・プロジェクトや、エリーから105km離れたアムセルコのアリゲーター・リッジ鉱山は、80年代から90年代生産を続けた。

ケネコットの製錬所が破壊されると、鉱山の銅精鉱は鉄道でシアトルに輸送され、そこでは精錬用に日本に輸送されます。2005年の銅の需要の劇的な増加は、再びエリーを銅ブームの町にしました。

現在廃止されているネバダ鉄道は、1996年から1999年まで、ルースの南部の鉱区からエリーを経て、ユニオンパシフィックとの合流地点まで続いた。

エリー ゴーストタウン ネバダ州

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ホテル・ネバダ
Hotel Nevada and Gambling Hall
ホテル・ネバダは40万ドルの費用で建設され、1929年7月7日にオープンした。建築家HL スティーブンス&カンパニーが建設した。ネバダ州、初の耐火建造物は、画期的で6階建の建物は1931年までは州内で一番高い建物でした。

多くの有名人や政治家が開かれて以来ホテルに滞在していました。 ホテルカジノは歴史の中で何度も所有権を変更しており、1986年には一時的に閉鎖されました。

ホテルの入り口には、そこに滞在した有名人のための名声の歩道があり、イングリッド・バーグマン、ゲイリー・クーパー 、米国大統領 リンドン・B・ジョンソン、ウェイン・ニュートン等が訪れている。

エリールネッサンス協会から依頼され、世界各地のアーティストがエリーのダウンタウンに鉄道と鉱山の歴史をテーマに20以上の壁画や彫刻が手がかれた。

エリー ゴーストタウン ネバダ州

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ポニー・エクスプレス Pony Express
ポニー・エクスプレスが使った長く労力の要る経路上には最終的に184の駅が出来、駅は既にある建物が使われる事が多かった。幾つかは軍隊の砦に置かれ、ある駅は新しく建てられた。

経路は全体で5つの部分に分けられた。厳密なスケジュールを守る為に地形に応じて8 km~32 km 毎に中継駅が置かれその数は157か所あった。

スウィング駅では馬を乗り継ぎ「ホーム駅」では騎手が宿泊し休息を与えられた。この仕組みで記録的な速さで大陸を横切る郵便が届けられた。騎手は1日に約120 kmを騎乗した。

エリー ゴーストタウン ネバダ州

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アメリカで最も孤独な道 US-50 ネバダ州
大陸横断US-50 号線は、1986年7月号のライフマガジンの記事で、ネバダ州の国道US-50は「The Lonliest Road in America」アメリカで最もさみしい道と掲載され世界的に有名に成った。

歴史的な道である、大陸横断US-50 号線は、USハイウェイシステムの一部として1926年に造られました。

初めに1860年4月3日から1861年10月まで運行されたミズーリ州セントジョゼフからカリフォルニア州サクラメントまでの郵便速達サービスとして使われた。

経路はグレートプレーンズからロッキー山脈とシエラネバダ山脈を越えるものでした。

最初の大陸横断電信が開通するまでは、アメリカ西部で東西通信手段であり、南北戦争直前の時代にカリフォルニア州をアメリカ北部の北軍と密接に結びつける重要な道でした。

エリー ゴーストタウン ネバダ州

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ルートはネバダ州とユタ州を抜け、現在のUS-50号線を辿っている。その後グレートベースン、ユタ・ネバダ砂漠、タホ湖近くでシエラネバダ山脈を横切り、サクラメントに到着する。

郵便は蒸気船に移されサクラメント川を下ってサンフランシスコまで届けられた。蒸気船の便が無いようなときは、騎手が馬に乗ったままオークランドまで郵便を持っていった。

ユタ州ではI-70号線と合流して、コロラド高原の風景が広がる道でアメリカ西部の道の中でも最も印象深い道で、西側のリゾート、タホ湖とカリフォルニア州の首都のカーソン・シティー、ユタ州の境界線の間には、フォート・チャーチイル・ステート・パーク、ゴースト・タウンがあり、ネバダ州を550km横切りこの当たりは一面の砂漠です。

US-50号線はカリフォルニア州の西サクラメントからメリーランド州のオーシャンシティーまでアメリカ大陸を横断する4800kmの高速道路ですが町から町の間隔が160kmあり殆ど何も無い。

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