アメリカ大自然 ラスベガスツアー/ラスベガス写真撮影サービス 米国写真家Ken Kanazawa

飛べる零戦 カマリロ・エアーポート・ミュジアム

飛べるゼロ戦

飛べるゼロ戦

飛べる零戦 カマリロ・エアーポート・ミュジアム  カマリロ カリフォルニア州
Camarillo Airport Museum
アメリカ合衆国カリフォルニア州ベンチュラ郡の都市である。約人口は65000人。US 101号線 ベンチュラ・フリーウェイが市の目抜き通りである。

カマリロという市名は、市の文化的な伝統をアングロサクソン系移住者から守る為、アドルフォ・カマリロとフアン・カマリロという2人の数少ないカリフォルニオから名付けられた

カリフォルニオとは、1848年以前からカリフォルニアに暮らしていたヒスパニック系住民。サザンパシフィック鉄道のコースト線が1898年に開通し、駅が建設された。

カマリロは第二次世界大戦前までは緩やかに成長していた。戦時中には町の西側にオックスナード陸軍航空基地(現在のカマリロ空港)が戦争遂行努力のために建設された。

近隣にもポイント・マグー海軍航空基地やポート・ワイニミ海軍シービー基地といった新たな基地が開設され、カマリロ周辺地域には多くの労働者や彼らの家族が移住した。

飛べる零戦
零戦(零式艦上戦闘機)は第二次世界大戦中に日本で開発され、大戦中に使われた一人乗りの戦闘機で1万機以上が作られた。

飛べるゼロ戦

飛べるゼロ戦

ゼロ戦の名前の由来
零戦は紀元(皇紀)2600年を祝って大日本帝国海軍が作った世界最新鋭の飛行機で、2600年の「00」から「零」と命名された。

航空母艦からの発着が出来る飛行機なので「零式艦上戦闘機」と命名し、略称「零戦」「レイ戦」と呼ばれ、戦後レイは英語でゼロなので「ゼロ戦」と呼ばれた。

ゼロ戦は旧・大日本帝国海軍が作った飛行機で当時、世界最高速度、旋回能力でも世界一、即ち「戦闘機としての能力が世界一」であった。

1940年太平洋戦争初期から運用され、2200kmの長大な航続距離や、優れた「格闘性能」を生かして米英の戦闘機に圧勝していた「名機」として有名だった。20mm機関砲2門で、戦闘機としては重武装だった。

カマリロ・エアーポート博物館
アメリカ ロサンゼルス近郊にあるにカマリロ・エアーポート博物館、世界で貴重な日本製の戦闘機「ゼロ戦」が展示してある。ロサンゼルスから車で約1時間半のアマリロ・エアーポートに、第2次世界大戦前後の軍用機を中心に150機以上が保有されている。

博物館は、展示するだけでなく、可能な限り修復して飛行させる事で現在50機以上が飛行可能。

毎年行われる航空ショーでは、古い戦闘機が当時の姿で飛ぶ姿を披露する。博物館の中でも特に貴重とされ、世界にここにしかないとされるのが旧日本軍の戦闘機「ゼロ戦」がある。現在、実際に飛ぶ事の出来る零戦は5機存在している。

飛べる零戦 カマリロ・エアーポート・ミュジアム

飛べる零戦 カマリロ・エアーポート・ミュジアム

零式艦上戦闘機二二型 X-133 Mitsubishi Zero A6M3 Model 22 N712Z/X-133
飛べる零戦 カマリロ航空博物館所有の零戦22型で、シリアルナンバーは、3869でニューブリテン島のバボ飛行場より回収された残骸より修復された。

機体は、ロシアの飛行機製造会社のストレラ・プロダクション・アソシエーツ社が、残されていた零戦の図面や残骸を実寸して、ほぼ新造された。

同時にもう2機が新造されました。当初、日本製のエンジンを載せる計画が有り、日本航空協会が所有していた、陸軍の特攻機「剣」のエンジン「ハ115」を搭載しようとした。ハ115は、栄21型の陸軍版であり、ギア比や補器類に若干の違いはあるが、基本的には栄21型と同じものである。

非常に程度が良かったため、整備すれば使用可能かと思われたが、アメリカへ送られて、分解整備に取りかかったところ、シリンダーのうち3ヶにひび割れが見つかり、シリンダーの新造には膨大な費用がかかるため、搭載を諦めた。

ハ115は、ばっちり整備され日本航空協会へ返還されたようである。ハ115が使用できなかった為、エンジンは例により、P&W R-1830-94である。同機は、POFの61-120と共に、ディズニーのパールハーバーの映画への出演した。ほとんど新造のレプリカとは思えないほどの仕上がり。

東京ローズ Tokyo Rose

東京ローズ

東京ローズ

日本軍が太平洋戦争中におこなった連合国側向けプロパガンダ放送の女性アナウンサーに、アメリカ軍将兵がつけた愛称。

プロパガンダ放送「ゼロ・アワー」日本政府は太平洋戦争中、「ラジオ・トウキョウ放送」で、イギリス軍やアメリカ軍、オーストラリア軍をはじめとする連合国軍向けプロパガンダ放送を行っていた。捕虜から家族宛の手紙の紹介等をしていた。

1942年2月に軍当局の発案で、連合国軍捕虜のラジオ放送の専門家を使う事にし、元オーストラリアABC放送のアナウンサーで、オーストラリア兵捕虜のチャールズ・カズンズ少佐、元アメリカのフリーランスアナウンサーで、アメリカ兵捕虜ウォーレス・インス大尉、レイズ中尉らを参加させた。チャールズ・カズンズ少佐は当初拒んだが、最終的に承諾した。

そして始まったのが「ゼロ・アワー」で、音楽と語りを中心に、アメリカ人捕虜が連合国軍兵士に向けて呼びかけるというスタイルを基本とした。1943年3月から、1945年8月14日まで放送され、太平洋前線のアメリカ軍兵士らに評判となった。

Camarillo Airport Museum
455 Aviation Dr, Camarillo, CA 93010
電話 (805) 482-0064
10時00分~16時00分

americadaishizen.com

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