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ロスアラモス ニューメキシコ州

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ロスアラモス ニューメキシコ州

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ロスアラモス国立研究所
ニューメキシコ州の州都サンタフェから北西約40kmの位置にある。ロスアラモス町は標高2200m、総面積28.1km²、人口は約12000人。第二次世界大戦中の1943年にマンハッタン計画で知られるロスアラモス国立研究所がある。

ロッキー山脈の南端の美しい森林に囲まれた広大な敷地に2100棟の施設が立ち並び2500名を含む1万人もの所員がいる。多くの科学者や技術者・労働者の暮らす裕福な町である為治安は極めて良い。

現在でも核兵器開発やテロ対策など合衆国の軍事・機密研究の中核と成る研究所で、生命科学、ナノテクノロジー、コンピュータ科学、情報通信、環境、レーザー、材料工学、加速器科学、高エネルギー物理、中性子科学、核不拡散、安全保障、核テロを抑止する核緊急支援隊の育成など、様々な先端科学技術について広範な研究を行う総合研究所でもある。

アメリカ国内外の研究機関との共同研究も盛んで、多くの外国人研究者を受け入れている。年間予算は21億ドルで、アメリカの頭脳が集まる名実ともに世界最高の研究機関であり、「アメリカの至宝」 と言われている。

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マンハッタン計画
第二次世界大戦中、原子爆弾開発に携わったアメリカ、イギリス、カナダが原子爆弾開発と製造の為に、科学者、技術者を総動員した計画である。

計画は成功し、原子爆弾が製造され、1945年7月16日世界で初めて原爆実験を行なった。

広島に1945年8月6日、長崎に8月9日に投下、合計数十万人が犠牲に成り戦争後の冷戦構造を生み出すきっかけとも成った。

科学部門のリーダーはロバート・オッペンハイマーが指揮をとり、大規模な計画を効率的に運営する為に管理工学が使用された。

オッペンハイマー
ニューヨークに生まれ、ユダヤ人の移民の子で幼年期より特別の才能の持ち主であった。飛び級でハーバード大学に入学、25才でカルフォルニア大学の物理学の助教授、32才で教授に成っている。専門は、化学、物理であったが、語学でも並はずれた才能の持ち主であった。

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後に、原子爆弾の開発者である自分自身を「われは死神なり、世界の破壊者なり」と言っているが、これはヒンズー教の教典「バガヴァッド ギーター、神の歌」から引用している。

ブラックホールの開拓者
オッペンハイマーは、元々は宇宙のブラックホールについての研究者であった。恒星は、燃え尽きた後、重い中性子だけからなる超高密度の塊へと変化する。

その結果、1辺が1cmのサイコロサイズで10億トンというすさまじい密度に成る。そして、質量が太陽の3倍を超える恒星では、中性子星という形態すら維持できず、ブラックホールと化す。

あの原子爆弾の開発計画さえなければ、オッペンハイマーは、天文学や物理学の世界で大きな功績を上げ、幸福な人生を歩んでいたかもしれない。だが、歴史の神は、彼をプロメテウスに仕立てたのである。

プロメテウスは人間に火を与えた罰として、永遠にハゲタカに内蔵をついばまれるという恐ろしい刑を受けたが、オッペンハイマーも同じような運命が待っていた。

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原子爆弾
1945年7月17日、オッペンハイマーは、核爆発の実験に成功する。その後、実戦用の原子爆弾を2個完成させ、その1つは広島に投下されたリトルボーイ、もう1つは長崎に投下されたファットマンであった。

しかし、原子爆弾が現実に広島と長崎に投下され、惨状が伝えられた後は、心境が複雑に変化していく。やがて、核兵器開発に否定的に成り、ロスアラモス研究所を辞任に追い込まれ、公職を追われたのである。

オッペンハイマーは戦後、湯川秀樹博士など日本の学者がアメリカで研究出来るよう尽力したと言う。そして、彼は実年齢より、はるかに老けて見えた。

日本への何かしらの思いがあったのだろうか。急速に老け込むほどの苦悩があったのだろうか。オッペンハイマーは、自らが開発した核兵器の廃絶を訴えながら、この世を去った。

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アインシュタイン
ナチス・ドイツが先に核兵器を保有する事を恐れた亡命ユダヤ人物理学者レオ・シラードらが、1939年、亡命ユダヤ人のアインシュタインの署名を借りてルーズベルト大統領に信書を送った事がアメリカ政府の核開発への動きをうながすきっかけに成った。

進言では核連鎖反応が軍事目的の為に使用される可能性がある事が述べられ、核によって被害を受ける可能性も示唆された。

以降アインシュタインはマンハッタン計画には関与しておらず、又、政府からその政治姿勢を警戒されて実際に計画がスタートした事実さえ知らされていなかった。

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