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フランク・ロイド・ライトとアリゾナ州

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フランク・ロイド・ライト

フランク・ロイド・ライト

フランク・ロイド・ライト Frank Lloyd Wright
(1867年6月8日 ~1959年4月9日)近代建築の三大巨匠、フランク・ロイド・ライト、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエの一人に数えられている。

フランク・ロイド・ライトフランクロイド・ライトは、1867年、ウィスコンシン州で牧師の父親と教師の母親の間に生まれた。母親のアナは、すでに息子が将来素晴らしい建物を作り上げると願っていた。アナは、息子にフレーベル・ブロックという積み木を与え、幼少時のこのおもちゃが彼の将来の設計技能に大きな影響を与えたという。

そんな両親もライトが14歳の時に離婚。母親と妹の家庭で唯一の男性であったライトに、一家を支えていく責任がのしかかったてきた。その後、ウィスコンシン・マジソン大学に入ったが、中退してシカゴで職を求めた。彼が中退したのは、1887年だが、それより68年後の1955年に、ライトは、当大学から芸術学部の名誉博士号を受けている。

建築技師のスタート
彼がシカゴに着いたころ、そこは、人口急増の真っ只中で、町中が建築ブームとなっていた。そんな環境のお陰で、ライトは、まもなく、製図者の仕事に就く事が出来た。これが、彼の建築家としての第一歩と成った。

フランク・ロイド・ライト

フランク・ロイド・ライト

一流建築家との出会い
ライトは、当時シカゴで活躍していた二人の建築家と知り合う。ルイス・サリヴァンとダンクマール・アドラーである。サリヴァンとアドラーは、オフィス高層建築をシカゴで構想し実現させた。1871年に起きたシカゴの大火で多くの市民が住居を失い、大量の建築物が廃墟と消えた。その復興の過程で高層ビル群が出現する。その設計を手掛けたのは、いわゆる「シカゴ派」と呼ばれるサリヴァンとアドラー達だった。その二人が共同事業で立ち上げたサリヴァン&アドラー事務所にライトが採用され、ライトは7年間勤めその後独立した。

プレイリー・スタイルと有機的建築
ライトは、1893年に独立して自らの設計事務所を構え、17年間に200件もの建築設計を行った。設計は、プレイリー・スタイルとして知られるように成る。プレイリーとは、草原の意味で、建物の高さと水平線を強調し、部屋と部屋の間を仕切る事なく、一つの空間で結んでいく様式である。60年にわたる創作活動において建築物から家具に至るまで「有機的建築」を追求し、近代建築に多大な影響を与えました。

フランク・ロイド・ライト

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フランク・ロイド・ライトとアリゾナ州
アリゾナ・ビルトモア・ホテルの設計でアリゾナを訪問したライト。その自然美と広々とした空間、そして温暖な気候にすっかり魅了された。高齢化していくごとに、冬のウィスコンシンは極めて過酷な生活である事を身にしみて感じていた彼は、アリゾナに彼の冬の家を建てる事にした。

1937年、現在のスコッツデールにタリアセン・ウェストを建て、避寒用自宅兼仕事場とした。このタリアセン・ウェストは、ライト独自の建設哲学から、砂漠と見事な調和を図る建築物として実現した。

ライトとチャンドラー
建築家の巨匠、ライトにホテルの設計を依頼したチャンドラー氏。チャンドラーに連れられてホテルの建築予定地として彼が選んだ場所に行ったライトは、チャンドラーからホテルの名を初めて聞いた。そ

フランク・ロイド・ライト

フランク・ロイド・ライト

れは、サン・マルコス・イン・ザ・デザート、「砂漠のサン・マルコス」だった。

ライトは、早速、その場所に小屋を作り、彼の家族と設計チームを呼んで、住む事にした。ライトは、この地を「キャンプ・オカチヤ」とOcotilloのスペルを変え、名付けた。オコチヨとは、アリゾナとメキシコに広がるソノラ砂漠に生息する植物。

サン・マルコス・イン・ザ・デザートの建設予定地は、現在のサウス・マウンテンの南側で、アウァツキーと呼ばれる広大な住宅街に位置している。

フランク・ロイド・ライト

フランク・ロイド・ライト

大恐慌
1929年に世界は突然、大変化を余儀なくされた。10月24日にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落。そして、それが一挙に世界的規模で波及し、金融恐慌が起こったのだ。アメリカには、1000万人以上の失業者が町にあふれ、一万行以上の銀行が破綻となった。

その後のライトとチャンドラー
大恐慌は、もちろんライトとチャンドラーのビジネス計画にもピリオドをもたらした。新たなホテルの建設などは不可能と成ってしまった。キャンプ・オカチヤでの企画は、殆ど日の目を見る事なく、消滅してしまった。消えたプロジェクトの一つに、サン・マルコス・ホテルの改築計画もあった。

フランク・ロイド・ライトは、アリゾナでの仮の家をたたみ、ウィスコンシンに戻った。しかし、1935年に再びアリゾナに自分の教え子達を連れて戻ることに決めると、チャンドラーは、ライト達にラ・ハシエンダというホテルを使わせる事にした。二回の冬をこのラ・ハシエンダで過ごしたライトは、様々な設計をしながら、すっかりアリゾナの砂漠に惚れてしまった。大恐慌で実現を果たせなかったサン・マルコス・イン・ザ・デザートを想像させるような場所を選び、現在のタイアサン・ウェストとして、冬の家を完成させ。

ビルトモアホテル フェニックス アリゾナ州
Arizona Biltmore, A Waldorf Astoria Resort
ライト設計のアリゾナ・ビルトモア・ホテルは、「砂漠に輝く宝石」として、高級リゾートの頂点に立つほど注目された。世界の中でライトに関わる現存する唯一のホテル。フランクロイドライト58歳での建築。実際に設計したのはマッカーサー兄弟で、ライトの元で修行した。 ケネディー大統領、マリリンモンローをはじめ多くの著名人が好んだホテルです。

外壁、内部主要な壁は遺跡を連想させるタイル仕上げ。決して派手なデザインではないのですが、印象に残る力強さがあります。自然素材のボリュームある塊は存在感があり、大地と一つに繋がるような落ち着いた雰囲気を醸し出している。2400 East Missouri Avenue, Phoenix, Arizona, 85016

アリゾナ州立大学記念劇場 タンパ アリゾナ州
Arizona State University  Tempe Campus
1964年に有名な建築家、フランク・ロイド・ライトという方が手がけたものです。丸く、茶色のずっしりした建物がまるでセドナのレッドロックを思い出させるような素敵な建物ですキラキラフランク・ロイド・ライトは日本の帝国ホテルなども設計しているといことで、彼の作品は日本文化の影響も少し受けているといいます。Mill Avenue and University Drive, Tempe, AZ 85287 U.S.A.

タリアセン・ウエスト Taliesin West フランク・ロイド・ライトの居宅
旧帝国ホテルの設計も手がけるなどして、日本でも有名な建築家フランク・ロイド・ライト。そのライトが冬の間の居宅として最後まで住んでいたのが、ここタリアセン・ウエスト。1937年にスコッツデール北西部のこの土地を購入したライトは、ここにタリアセン・ウエストを建築し、以後1959年にこの世を去るまでここを冬の間の居宅としていました。建物の内部は居住部分をはじめ、劇場や建築家のスタジオ、設計室などとても広いものです。注目すべきはそのデザインで、一見奇妙な形をしながらも実に美しく、周囲の風景とよく調和しています。一般公開されており、ガイド付きツアーがあります。
12621 N Frank Lloyd Wright Blvd, Scottsdale

セドナ

岩の教会セドナ

セドナとフランク・ロイド・ライト
Chapel of The Holy Cross
セドナ市街の郊外の赤い岩の上に建築した、チャペルオブザホーリークロス はフランク・ロイド・ライトの弟子だったマルガレット・スタウドがデザインした周りのレッドロックの風景に溶け込むその容姿は、まさに芸術的です。教会は中に入る事が出来、遠くにベルロックやカセドラルロックを見渡す事が出来る。20あるボルテックスの1つである。

地上約60mの岩の上に建築され、大自然の岩の間から高さ27mの十字架とステンドグラスの教会の窓が特徴。外観はこのセドナの街に相応しいシックな色使いで、シンプルな印象であり、周辺の景色と融合している。

教会はローマカトリック教の主教管区に属するカトリック教のチャペル。教会の内部は比較的コンパクトな印象で内部はとても幻想的な空間となっています。内部は地元の人達と思われる方が祈りを捧げており、とても荘厳な雰囲気が漂っている。780 Chapel Rd Sedona Arizona

フランク・ロイド・ライトと日本
帝国ホテルライト館現在は明治村に一部移築)をはじめとした彼の作品が残っており、浮世絵やマヤ文明からも影響を受けたとされています。

フランク・ロイド・ライトは、1913年に訪日し、帝国ホテル新館の設計を進めた。帝国ホテルは、1890年に完成し、いわゆる明治の日本が誇る国を代表する高級ホテルとして開業していた。総支配人の林愛作がライトと旧知であったことから、ライトに新館設計の相談をする。

そして、1916年に契約が結ばれた。鉄筋コンクリートを使った巨大なホテルは、後に関東大震災でも倒壊せず、耐震防火を配慮した建物は、ライトの卓越した設計能力を証明した。しかし、完璧主義のライトがもたらした巨額な予算オーバーと工事の大幅な遅れが原因となり、ライトは解雇。総支配人の林も辞任してしまう。結果としてライトは、ホテルの完成を見ずにアメリカに戻る事になる。

こうした帝国ホテル新館も年代を経て老朽化し、1960年代に取り壊し工事となった。しかし、その玄関部分だけは、愛知県の博物館明治村に移築された。そして、現在、この建物は、登録有形文化財に登録されている。

その他、ライト設計の日本の建物は、1924年に竣工された兵庫県の山邑家住宅オノ・ヨーコ(芸術家、幼児生活団卒)坂本龍一(作曲家、東京友の会 世田谷幼児生活団)岸田今日子(女優)山本直純(指揮者、作曲家)出身者がいる1926年の自由学園明日館があり、いずれも国の重要文化財となっている。また、ライトは、日本文化に大変魅せらたようで、浮世絵の収集家としても知られている。
自由学園ホームページhttp://jiyu.sp.qlete.jp/index.php

フランク・ロイド・ライトとカリフォルニア州
ウェイフェアーズ チャペル (ガラスの教会)
Wayfarers_Chapel Rancho Palos Verdes  California
ロサンゼルス郊外の最高級住宅地として知られるランチョ パロス バーデスにあるチャペル。日本の帝国ホテルを設計したとして有名なフランク ロイド ライトの息子、ロイド ライトがデザインを手がけた教会で1949年創立。

教会の壁面はすべて透明なガラス張りで、周囲に生い茂る樹木が直射日光をさえぎって、やわらかい日差しが教会全体にやさしく差し込む。カリフォルニアの青い空が建物内からも大きく見える。海外線沿いの小高い丘に建つ教会なので、庭に出ると、どこまでも広がる太平洋の素晴らしい眺めが一望できる。

日本では通称「ガラスの教会」として有名なのだが、設計者的には「森の教会」のイメージで設計したとのこと。確かに周囲の木は大きく枝をはり、天然の日傘のようになっている。教会の隣に建つ石塔には16個の鐘があり、重厚だが美しい音色が鳴り響く。周りは静かな中、結構な音量で鳴る。

日本の芸能人などが挙式をしたことで有名になり、吉田栄作、松田聖子といった有名人もここで結婚したことは有名。ロサンゼルスでも高級住宅地として有名なランチョ パロス バーデスにある。このあたりは半島になっていて、教会は海側の南端に位置している。この近くにロックミュージシャンの矢沢栄吉の邸宅があった。5755 Palos Verdes Drive South, Rancho Palos Verdes, CA 90275

http://www.acejapan.net/oasis/oasis2015/4-2015/4-15.html
Wikipedia参照

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